なぜグローボ特派員は被災地の平静さに感動するのか

壊滅的な被害を受けたネパールの首都カトマンズの広場。わずかながらも市が立ち始めた様子(4月27日、Foto: Bernard Jaspers-Faijer/EU/ECHO, 27/04/2015)

壊滅的な被害を受けたネパールの首都カトマンズの広場。わずかながらも市が立ち始めた様子(4月27日、Foto: Bernard Jaspers-Faijer/EU/ECHO, 27/04/2015)

 「大震災にも関わらず、ネパール国民は商店略奪もせず、家族を失った悲しみに耐え、平静を保っている」とグローポTV特派員は感動しながら伝えた▼これを見て東日本大震災の時に、同局特派員が「被災地で商店略奪は起きず、信じられないことに、被災者同士助け合う光景が繰り広げられている」との驚きを伝えていたのを思い出した。〃神〃に対する考え方が違うことが、天災時の国民の態度と関係する気がする▼西洋の神は実に荒々しい。「ギリシア神話」に登場する女神ガイアは嫉妬から天空神ウーラノスの男根を切り取らせた。旧約聖書『創世記』では、神は地上に増えた人々が悪を行っているのを見て、「これを洪水で滅ぼす」とノアに告げ、箱舟の建設を命じた。洪水は40日続き、地上の生きものを滅ぼしつくした▼〃神〃が人格化され、人が自然と対峙する雰囲気がある。どこか人の目から〃神〃を解釈している感じがする。西洋では、天災は人に敵対する現象だから、害を及ぼさない様に自然を〃征服〃する必要があると発想する。天災は憎むべきもので、自らが生き残るための略奪は正当化される▼でも東洋的には人は自然の中から生まれ、人はそれと〃共存〃する他ない。地震や津波も含めて、厳しい自然は〃八百万の神〃そのものだ。神は自然と一体化し、山や川、草木にも神が宿る。それゆえ大地震が起きても「受入れるしかない」との諦観が漂う。西洋史に出てくる「神は死んだ」とか「神を憎む」という言葉自体、どこかそぐわない。それに自然は異教徒を殺せとは命じない。穏やかな神のイメージの方が、世界平和に近い感じがする。(深)