多羅間さん初七日にお言葉=両陛下や皇太子ご夫妻等から=宮内庁から侍従が伝える

 「多羅間殿下」とコロニアで親しまれていた明治天皇の孫、多羅間俊彦さんの初七日ミサが4月21日に行われたが、その前に、天皇皇后両陛下をはじめ皇太子殿下ご夫妻、秋篠宮ご夫妻からお悔やみの電話があり、さらに三笠宮さまや久邇宮家からも御供花があったことが分かった。多羅間アリッセ未亡人は驚きながらも、「本当にありがたいお心遣い」と心から感謝しているという。

 多羅間さんは、東久邇宮稔彦王と同妃聡子内親王(明治天皇の九女)の第四王子として生まれた。父の東久邇宮稔彦王は終戦後初の第43代内閣総理大臣で、47年に皇籍離脱した。
 戦前に在聖総領事館に勤務し、退官後に渡伯して耕地を経営していた多羅間鉄輔・きぬ夫妻の養子となり、51年4月に単身、渡伯していた。ブラジル唯一の皇室血縁者だった。15日午後3時ごろ、サンパウロ市の自宅で心臓発作のために享年86で亡くなった。
 初七日ミサは4月21日に自宅近くのサンタテレジンニャ教会で行われ、当日は祭日だったにも関わらず100人以上が参列した。
 多羅間さんが亡くなった後、宮内庁の侍従から電話があり、天皇皇后両陛下や秋篠宮ご夫妻などからの「多羅間さまがお亡くなりになりましたことに対し、ご家族にご弔意をお伝えするよう仰せつかりました」との電話が自宅にあり、妻のアリッセさんが対応した。
 両陛下は、ご来伯時にサンパウロ市で会ったことをたいへん懐かしく思い出しているとのメッセージを託された。
 また皇太子殿下ご夫妻からも、訃報に接し、大変残念に思うとのお言葉に加え、「日本移民百周年のおりに、大変良くして頂いた事を、ありがたく思っております。心からのご冥福をお祈りいたします」との心のこもったメッセージが託された。その他、秋篠宮ご夫妻からお言葉もあった。
 教会には、三笠宮さまや久邇宮家からの御供花も供えられた。
 ミサでは、お言葉の全文が日本語では友人の尾和義三郎さん、ポ語ではアリッセさんの弟・花城ゼッツリオさん(元サンパウロ市交通局長)から披露され、会場には驚きの声が広がった。
 なお四十九日法要は5月31日午後3時からサンパウロ市の西本願寺(Rua Changua, 108, Saude)で行われる予定。