ガウショ物語=(40)=密輸に生きた男=《2》=警官一握り、国境開けっ広げ

 ここリオ・グランデ・ド・スールを支配していたのは陸軍大将と呼ばれる男で、開拓地は与えたが、その後の生活は何も保障しなかった……。
 お前さん、それがどう言うことか、今度中尉のポストについたら、身を持っていろいろと体験するから解るようになるだろう。
 あのころ、火薬はわれらの国王陛下のもので、許可を得た何人かの大物ガウショだけしか火薬の粉を家に置けなかった……。
 おまけに、トランプはポルト・アレグレの町にしかなかった。国王陛下の工場で作られ、トランプの監査官、そう、その通り、監査官までいたんだ。だから、そのトランプしか買うことができなかったんだ!
 そして、あのころ、わが国王陛下はリオ・グランデの町から貴金属商を閉め出し、他の地域の金細工師や装飾品細工師まで廃業させた。本国の細工師の作った品だけを流通させたかったからさ。
 考えてもみてくれ。わしら領民は身を守ったり、楽しんだり、たまに贅沢したりするためにいちいち許可を貰わねばならなくなったんだ……。国王は民のことなどまったく何にもご存じない……。
 いったい誰に対してこんな御触れを出したんだ?!……よりにもよってガウショたちに対してだぞ!……
 そういう訳で、農場主たちは自分で、あるいは、人を遣わして、向こう側のスペイン人たちのところに火薬や弾薬、火打石、トランプ、女たちの金細工の装飾品、馬具の銀の装飾品などを求めに行った……そのために十分の一税など払うこともなかった。
 ときには荷車を引く馬一頭が、荷物ごと火薬の爆発で宙に飛ぶこともあった。あるいは民兵の隊が国境を越えてきて、銃床でみんなを威し、一切合財持っていった。こうした小競り合いで兵士の威力がどんなものかを頭に叩き込まれていったもんだ。
 この仕事にのめり込んだガウショが何人かいて、注文を受けるようになった、好機をのがさず、無益な商品など扱わなくなった。彼等は本国から来る厚手の毛織物、バイア産の縄タバコ、それに火酒(ピンガ)の壷を運んだ。そして、向こうで物々交換した。
 双方の国民は争っているのだが、商人はいつも商談をうまくまとめていた……。
 その状況がファラッポス戦争のころまで続いた。その後、シッコ・ペドロのゲリラ隊で知られるカリフォルニアの乱(1845~1850)があり、それがローザ戦争(1851、1852)に続いた。
 そして、国境地帯はスペイン人と異国からの移住者で膨れ上がり、人の洪水状態となった。
 そのうち、状況が変わってきた。異国人というのはお定まりどおりずる賢い。そして、「濡れ手に粟」という儲け方を教えてくれた……。楽して儲けるという甘い考えが連中の間に広がって行った。それには牛飼いでも、すばしっこい者でさえあればだれでも良かった。後は武装したごろつきの集団を組み、ときには兵士に拳骨をくらわせたり、腹いせに小賢しい副長官を袋叩きにした……。
 書類も清算書も関係なかった。とにかく大量に集め、荷鞍に積み、運び、引き渡すだけだった!……
 なんと多くの浅はかなガウショが出現し、これに加わったことか。
 パラグァイ戦争が勃発した。
 ブラジルの貨幣価値が上がった。金一オンスが三二ミル・レイスだった取引値が、なんと四六ミル・レイスまで上がったんだ!……想像しても見な。異国人がいかにぼろ儲けしたことか!……
 何でもかんでも運び込まれるようになった。布類、コロン水、武器、安ピカの小物類、薬品、雑貨などなど!……口約束だけでよかった!
 平原を行き来する行商人も現れた。荷鞍に空の長持や革張りの衣装箱を乗せ、向こう側に渡り、帰りは満杯の品物を持ち帰り、こちらで売りさばく……。
 警察官はほんの一握りしかいないし、国境は開けっ広げ状態だ。皮や馬の鬣を運搬する認可証を持ち、そして、税関には呪文のように書きなぐられた書類があるばかりだ……。
 さあ、さあ!……どうぞ、お通りください!……そのころ芽生え、葉が茂り、大木となった、それが今の密輸貿易と言う訳なのさ。(つづく)