篤志家・宝田さんの光と影=家族に麻薬中毒、射殺、自殺=多額寄付の裏にある想いとは

 生涯つつましい独身生活を送りながら、サンパウロ日伯福祉協会に個人としては最高額の寄付したことで知られる故・宝田豊造さん。本紙02年10月1日付記事に「天国には持っていけないから」と多額の寄付をした理由をあっけらかんと語っている。清貧を地で行く生活を送りコツコツとお金を貯めては寄付を繰り返し、自らの経歴をまったく語らなかった。本人が亡くなった後、援協の根塚弘さんは偶然、宝田さんの妹・松子さんと知り合い、麻薬に溺れた兄を父が射殺、次男も自殺――実は壮絶な家庭環境があったことを聞いた。

 宝田さんは2012年に肺炎、呼吸不全、腎不全の合併症により91歳で逝去した。86年、日伯友好病院の建設資金として14・5キロ余りの金塊(純金、当時1800万円相当)を寄贈し、07年には「社会福祉センター」の建設資金にと一番乗りで7万レアルを寄付したことで有名だ。
 治安の悪いサンパウロ市ブラス区の粗末なキチネッチ(1DK)を電撃取材した前出の本紙記事は、その質素な生活ぶりを《衣服の糸がほつれているものや穴が開いているものが目立つ。本人は「廃品利用ですよ」とさらり。天井からつるされた裸電球に照らされた部屋は、独居老人の悲哀に満ちている。これで貯金が無かったら、援協福祉部が救済に乗り出すはず》とつづる。
 宝田さんは東京都出身、29年に8歳で家族移住し、サンパウロ州ジャルジノーポリス市のサンジョン耕地に入植した。奥地を転々とし5年後に出聖。様々な職を経て、歯科医療器具の販売外交員として20年以上働き、入院直前まで仕事を続けていた。
 根塚さんは援協巡回診療班の責任者として活動していた折、サンパウロ州沿岸部のペルイベ市にある修道院に、日本人の高齢者が世話になっていると耳にした。現場に向かったら、それが妹の松子さんだった。宝田家の過去を知る唯一の人物、妹の松子さんは現在92歳。そこで聞いたのは、あまりに意外な話だった――。
 宝田家は荒れていたようだ。根塚さんによれば、妹は「長男が麻薬に走り、父親が射殺してしまった。その父は刑務所に服役した。服役中に次男は割腹自殺」と衝撃の家庭環境を明かした。「嫌気が差したのか、豊造さんは家を出た」という。そんなトラブルが続けば当然かもしれない。
 「松子さんが残った母と甥の世話をしていた。父は出所後の62年に他界し、母は75年に病死した」という。宝田さん生涯独身を貫き、過去をしゃべらなかったのは、こうした複雑な背景があるからのようだ。
 寄付することで人助けをする側に回り、重苦しい過去に押し潰されそうな暗い気持ちに、一筋の曙光を見出したのかもしれない。

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 宝田豊造さんという名前からも〃豊かさ〃を感じさせるが、それを否定するような地味な生活をしていた。02年10月1日付本紙記事には《「生活の程度を上げれば、悪漢に襲われる」。お洒落をすることも、不動産などに投資することもなかった。知人の勧めで何度かお見合いもした。「面倒臭いのは嫌い」と独身を貫いてきた》とある。しかし、根塚さんの話では「東宝を代表する二枚目スター宝田明の親戚」という話も。「人は見かけによらない」という諺そのままの生き様だ。