宿世(すくせ)の縁=松井太郎=(2)

 ついの旅になった訪日から帰った母をみて、息子はーママエは背中がかがんできたーとー彼の気づいたことを太一につげたが、それから千恵はしだいに痩せるようになった。医者にかかると、糖尿病と診察されて、こまかい食療法を指示された。処方どおりに従っているのに、干恵の体重は秤にかかるごとに針はさがっていった。息子は憂慮してふたたび病院で診察してもらうと、病勢は食事療法の域をこえたとして、インシュリーナの注射にかわった。
 注射は太一ができるので薬局にゆくことはなかった。
「こんなことで、あんたの世話になるとはね」
千恵は負けおしみを言う。
「なあにー、女の男からの借金なら、口さき一つでどうにでもなる」
「あほらしい、あんたにはよおけ貸しがあるのに、あっー痛い」
 ときには千恵は夫の生まれた関西の言葉をつかったが、そんな日は機嫌はよかった。治療が注射になって千恵の痩せはとまりかえって肥えてきた。そんな徴候に病人は気をよくし、家族もやっと愁眉をひらいた。
 季節は冬から春にうつる頃であった。好天が二・三日もつづくと、外はもう初夏の日ざしで、はやくも薄着にかえたパウリスタナ(サンパウロの人)の街路をゆくのに出会う、太一の住む屋敷はサンパウロ市の東部、インペラドール区にある。埃っぽい新開地で、ちかくに大通りがあって一日車の騒音はたえないが、住まいの前に通りをはさんで、頭の弱い娘たちを預かって教育しているという、一区画を占めた尼さんの施設があるので、車の騒音はよほど緩和される。
 高い塀に囲まれた土地は、建物のほかすべて果樹園になっていて、季節によってはシュシュ(はやとうり)のつるが、塀のそとにはみだして青い瓜がさがる。時には放れ馬が二、三頭とつれだって、この裏通りに迷いこみ、糞を路に落としてゆく、そんな鄙びたところもこの区には残っていた。外ではもうあつ織のシャツでは汗ばむほどであるが、この家の客間ではまだ冬のなごりがうずくまっている気配であった。
 女中が二階の夫婦の部屋を掃除するというので、太一は追い立てられ本を片手に客間におりてきた。千恵は養生をしなければならない身体だが、暇をもてあまして、細糸でレース編みをしていたが太一に叱られ、近ごろでは太糸であむ敷物をあんでいる。
 太一は空いているもう一つの長椅子に足をのばして、持ってきた本をひらき、どこまで読んだかとページを目でおっていると、二戸たかくベンチービが鳴いた。何科にぞくする小禽かしらないけれども、鳴き声がポ語で、(わたしは来てお前を見たよ)の意味にとれ、鳴き声がそのまま烏の名になって、一般にとおっている。
 農村ではこの鳥がなくと、低地にあるイッペの鮮黄の花がほころびるのと共に、もう霜はおりないというので、農家ではいそいで苗を本畑にうつすのもこの時期である。大都会のなかでこれらの小鳥は、一区域の果樹の茂みでもあれば、生存できてげんきよく鳴きかわすのを聞いて、太一は詩趣をおぼえた。
「あー、ベンチービが鳴いている」
千恵は編み物の手をやすめて、ひとりごとを言った。
「あの烏は去年も鳴いていたのかしら」
「うん、ここに移ってきてから聞いている」
「蝉の声はよくきいたけれど」
「ああー、蝉しぐれか、あれはもっと先のものだ」
夫婦の間にこのような会話があったが、千恵は蝉のなく季節までは生きていなかった。
 その頃、太一はまだ妻の病状は慢性の軽いものとみていた。