世界を股にかけたイタリア系ウチナーンチュ?

左がイタリア系ウチナーンチュの正雄さん(『群星(むりぶし)』39ページ)

左がイタリア系ウチナーンチュの正雄さん(『群星(むりぶし)』39ページ)

 沖縄県人移民研究塾同人誌『群星(むりぶし)』創刊号を読んでいて、中身の濃さに舌を巻いた。中でも、笠戸丸移民でカンポ・グランデ沖縄県人会の初代会長・知念亀の足跡には驚かされた。イタリア系ウチナーンチュの話だ。『写真で見る沖縄県人移民の歴史』別冊を読んだ知念宏吉さんから消息を伝える連絡が入り、宮城あきら塾長が執筆した▼知念亀は沖縄の親から「兄危篤、すぐ帰れ」というウソの電報を受け取り、帰沖していた。最初の妻(ブラジル人)との間に子供がおらず、イタリア系移民の子供を養子に引き取り、「正雄」と名付けて育てていた。帰国する際に妻は残したが、6歳の子供は連れて行った▼沖縄の家族は亀の帰国に大喜びで、村人も正雄のことを珍しがり「ヒージャーミー正雄」(ヤギのような目をした正雄)と呼んで親しく受け入れた。寛容な沖縄県人の文化性を感じさせる逸話だ▼太平洋戦争に巻き込まれ《正雄は、戦時中のアメリカ軍の捕虜となった頃に、外国人の相貌をしていることから注目され、ある軍医に引き取られた。その軍医は、17歳に成長していた正雄に英語を教えて米軍施設内で働かせた》という。「なぜブラジル生まれのイタリア人が沖縄に?」と米軍も驚いたことだろう。しかも《2014年現在、86歳の高齢ながら健在である》▼大西洋を渡ったイタリア移民がブラジルで子供を作り、日本移民に引き取られて今度は太平洋を越えて沖縄に連れていかれた。それだけでも十分に凄いが、イタリア二世はウチナーグチで生活をし、戦争で米軍捕虜となり、英語を教えられて基地作業員に。世界を股にかけた摩訶不思議な移民人生だ。(深)