宿世(すくせ)の縁=松井太郎=(13)

 太一は自分では偏屈とはおもってはいないが、どういうものか人からは好かれないのであった、母は好いてくれたが、父からは嫌われ、弟妹たちからは疎んじられた。そしてはなからは逃げられている。
 もしこれが、はなとの不縁が平和の時代だったら、それを機会に太一は家を出ていただろう。ところが彼が望んでいた大都会では、身のおきどころのなくなった邦人が、つてを求めて田舎に転居してくる時勢だった。太一はこの戦争がすまなければ、自分の生活の方針もたたないと思っていたが、日本が国策をあやまったとする考えはしだいにつよまるばかりであった。
 事の真相などは、たとえばはなの場合などは、当人が本心を語らなければ分からないものだが、夢やぶれて女のほうから破綻にするには、それだけに深刻な理由があったのだろうと、太一は反省したものだったが、彼も歳をとるにつれて、いくらか観察かかわってきた。というのも案外と些細なことから、人生の流れがまったく変わってしまうことのあるのを、自他ともに経験したからであった。しつこいようだが彼はその件について、折につけては探究をしてきた。そして近ごろになって、他人の話とか「土佐源氏」の主人公にくらべてみて、はなとの仲がうまくゆかなかったのも、観念的な男が畳の上で水泳の練習をして、実際に水の中に入り溺れかけたという失態をえんじ、自分をよく見せたいという女の前だっただけに、落ち着きをなくしたのが行為となってあらわれ、新妻のうぶなこころに不安をうえつけたのが、不縁の因になったと彼は悔いた。
 太一はかねてから男女の結合は、はじめに愛がめばえむすばれて、家庭をもつのがこの国の習慣でもあり、理想としていたが、当時のコロニアの邦人には望まれない事情にあったので、床をともにすれば情愛がうまれ、家族をなすのもひとつの型と観ていた。
 はじめに交わりがあって、すべてがその後につづくと、太一は思っていたので、その意義はおもくかんがえていたが、行為そのものは性欲の発現で、動物とかわりのない本能の一つと彼は思っていた。
 農村などでは日常のこととして、まい日眼にする禽獣のあの行為である。子豚など放し飼いにしておくと、生後半年ぐらいで、おなじ腹からでた牡と牝が遊んでいるうちにはらんでしまう。飼い主はおこって、―こんな親からろくな仔がとれるかいー、と牡は去勢され、牝は屠殺される。
 もちろん人間は禽獣ではないが、交接は飲食とともに生物の本能のひとつ、逸楽しやすい安易な行為と太一は考えていた。ところが、彼は初夜でしくじった。床にはいって処女の柔らかな手をにぎったとき、感電したようにしびれた。そんな男がまんぞくに性交のできるはずはなかった。太一は日ごろ己れを高く持していたので、恥をかいたと思った。誰もはずかしめたわけではないのに、自信をうしない茫然と落ちこんでしまった。
 かたや新婦にしても、新枕をかわす床にはいるのに下穿きもとっていなかった。さきはど形だけの式をすませた男が、自分の上にあらあらしく乗ってきて、何かをしようとするので、新婦はどんな目にあわされるのかと怖くなり、脚をちぢめ身もかたくしてふるえていた。
 今でこそ年老いた彼はあのころの自分をなつかしむが、当時は深刻に焦慮して、おれは不能者ではないのかと悩んだ。新妻の下腹をぬらすだけの夜が三晩もつづいたのち、この度はと心をしずめてよってゆくと、意外にも彼の手ははらいのけられた。強いて抱こうとすると、相手はくるりと横になりこちらに背をむけて丸くなった。これはてっきり失敗つづきなので、はなに嫌われたと太一は推量した。