終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第3回=伯字紙「最悪の人物」と報道

「ブラジルを侮辱する本」と報じた1948年5月15日付フォーリャ・ダ・ノイテ紙。なぜか写真は岸本次男

「ブラジルを侮辱する本」と報じた1948年5月15日付フォーリャ・ダ・ノイテ紙。なぜか写真は岸本次男

 当時の伯字紙を探すと主要紙が揃って岸本逮捕を報じていた。前年まで連日騒がせた臣道聯盟に関連した〃大事件〃と見られていた。
 48年5月16日付コレイオ・ダ・マニャン紙は「ブラジルにたて突く本を書く」との見出しで岸本逮捕を報じ、「この日本人はこっそりとブラジルを攻撃、中傷する本を書いた」「ブラジル生まれの子供が何人もいる事から、法務大臣は国外追放でなく、国籍剥奪だけにした。岸本は臣道聯盟のテロ事件の時にも逮捕されていた」などといい加減な内容を書いた。
 48年5月15日付フォーリャ・ダ・ノイテ紙も「日本人によって日本語で書かれたブラジルを侮辱する本」との刺激的な見出しで報じた。本の内容は「日本の国粋主義と孤立主義を説く」とし、「帰化人だがこの望まれない人物は追放されるだろう」と書かれた。しかも掲載された写真は、まったく別人の岸本次男にみえる。
 同日付コレイオ・パウリスターノ紙も「反ブラジル的本を書いて告訴される」との見出しで《この最悪の人物は、反ブラジル国民的な文章や様々なウソをついてブラジル政府を暴力的に攻撃する本をこっそりと書いた》と説明する。ところが《岸本は臣道聯盟事件の時も容疑者としてサンパウロ市で逮捕されていた。当市で発刊されている雑誌『断』の発刊主でもある》と書き、こちらも「岸本次男」と勘違いしている。
 この伯字紙におけるキシモト違いは度々現れる。岸本次男は〃怪人物〃として知られ、『移民の生活の歴史』(半田知雄、人文研、1970年、675頁)にも《彼は警察関係や上層政治家に多くの知友を持つ天下御免の人物とも噂されていたが、警察でも一部のものは謎の人物としてあつかっていた》とあるやっかいな裏社会的存在だ。
 勝ち負け報道を通して、自らのジャーナリストとしての経歴を磨いていった人物がいる。日系人で最初にブラジルマスコミで活躍した翁長英雄だ。戦前の『日本新聞』社長の翁長助成の長男で、USP法学部を卒業した41年にフォーリャ・ダ・マニャンで校正係として勤め始め、記者になった。
 45年当時には朝刊紙としては最多部数(10万部)を誇ったジョルナル・デ・サンパウロ(JSP)で働いていた。当時の最大手夕刊紙ノイテ紙は、勝ち負け抗争に大きな紙面を割き、1946年4月10日付けでは、若僧といわれそうな若干24歳の翁長英雄の意見をデカデカと掲載した。しかも大きな顔写真付きだ。別の新聞社の記者をこの扱いで報じるとは、異例の中の異例だろう。(つづく、深沢正雪記者)