凄まじい「明治の日本人」の一人、岸本昂一

岸本昂一

岸本昂一

 連載中の岸本昂一ほど凄まじい気魄を持ったコロニア出版人を他に知らない。彼の戦後初の著書『南米の戦野に孤立して』は刊行後に国外追放裁判に晒され大変だったが、刊行前の苦労も一通りではない▼出版費用の持ち合わせのない岸本は、予約購読者を募って歩いた。『蕃地の上に日輪めぐる』(岸本丘陽、曠野社、58年)によれば、「今度の仕事の成否は、私自身がこの仕事と共に生き、この仕事と共に死ぬ生死観の決意こそ、この民族的な大仕事を完成させてくれる基本となるものだとの信念から出発したのです」(440頁)との気持ちで、1947年に3カ月間かけてノロエステ線、ソロカバナ線、パウリスタ延長線の移民宅を一軒一軒歩いて回った▼その出発時、岸本は敢えて電車賃100ミルだけを懐中に汽車に乗った。切符代93ミルを払ったら宿賃も朝食代もない状態に自らを追い詰めた。見送りに来た妻は「無茶をしないでください」と無理矢理にもう100ミルをポケットに押し込んだが、折を見てこっそり幼子に「お父さんが出発してからお母さんに渡しなさい」と返した▼その覚悟の結果、1051人から購読予約と前払金をもらい、印刷代に回した。《どこの馬の骨か牛の骨か分からぬ様な者の口車や筆の先に乗って金を出す様な物好きは一人もいないのだ。これはあくまでも著者の私の人格を信じて貰えるかどうかと云うことと、本の内容がどの程度まで眞実を描写しており、また人を動かすに足るものが有るか否かに懸かっているのだ》(『蕃地』438頁)との覚悟だったという。「明治の日本人」らしい心構えに、思わず襟を正した。(深)