言論の自由はいいが鵜呑みにするな=サンパウロ 梅崎嘉明

 最近、目良浩一氏の記事や講演がにぎにぎしく新聞に報じられていて、それに共感する人々も多いようだ。目良氏はアメリカに住んでおられるようで、アメリカの政情、歴史をネタに報じられておられるようで、日本側の情報を見聞きしてきた私などが読むと多少のくいちがいがある。
 その国の歴史というものは、自分の国に都合のよいように記録されているものが多いので、片方の言い分を鵜呑みにしてはいけないだろう。
 そもそも太平洋戦争の発端は、自衛でも侵略でもなかった。1929年の世界的不況のあおりを浴び、その上、日本は人口過剰からくる就職難にあえいでいた。
 少し昔にさかのぼるが、日本は日清・日露の戦いに勝った。しかし多くの人材を亡くした。戦争に勝つには人材を多く持つことだ、と政府は暗に「産めや殖やせよ、地に満ちよ」と奨励していた。その結果、昭和に入って戦争がないものだから人口があふれ、大学を出ても便所の掃除人にもなれないと言われる世代となっていた。
 その人口のはけ口を海外に求め、まず隣国の満州を制圧し、そこへ満蒙開拓義勇軍といった名目で人々を送り出し、またブラジル移住をも大々的に奨励していた。それでも景気は回復せず、戸惑っている政府を2・26事件で抑えこみ、軍部は支那へと進出した。
 日本としては侵略のつもりではなく、日本の経済復帰のためであって、進出した土地には新政府を樹立させ、宣撫工作にも腐心していた。が、外国から見れば侵略に相違ない。
 それを良しとしない米国は「満州国は承認するから、支那から撤退しろ」と和平交渉をもちかけてきた。時の政治家・近衛文麿は和平に持ち込みたい意向だったが、奢っていた軍部の賛成を得られなかった。
 これは日本側の報道で、目良氏は「満州国とインドシナから完全撤退と、日本では到底承認できない条件をつきつけられ、誘導される形で真珠湾攻撃をした」と述べておられる。「満州を承認する」という日本の報道と「満州国から撤退せよ」というアメリカの通告とは大きなズレがある。どちらが正しいのか、専門家でない私には分からないが、その亀裂によってただちに真珠湾攻撃を開始した、ということではない。
 新聞記事だから実際の目良氏の話とは多少のズレがあるかもしれないが、和平交渉が持ち上がった次点では、まだインドシナへは進出していなかったと私は認識している。
 日本との和平交渉が分裂したので、アメリカは日本への経済封鎖を実施した。その頃の日本は生糸が第一の輸出製品で輸出先が米国だったので、日本の生命線を断ち切られたことになり、止む無く資源確保のために南洋方面に進出した。
 これも侵略が目的ではなく、資源を提供してもらうことと同時に、当時英国の統治国であった国々の独立をうながしての進出だったが、これも邪魔をするのは英米だったので、無理な戦争と分かっていながら英米に宣戦布告したのであった。
 海軍提督の山本五十六は、半年ぐらいは太平洋上であばれてみせる、と宣らし、そのあとは何も言わず、戦場の華と散ってしまった。
 味方を知って敵を知る、といった叡智があったなら、無謀な太平洋戦争など起こさずに済んだはずだった。人間界の成すことすること、なべて一長一短で、その為に種々の問題を巻きおこし、古今東西いつの世も争いはつきない。