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ニッケイ歌壇 (498)=上妻博彦 選

      サンパウロ      梅崎 嘉明

電柱を巻きてサンジュオンの蔓は伸び天に向いて紅花をささぐ
ああ今日も平凡にして一日過ぐ昨日と同じ食事を並べ
先妻を亡くし再婚の妻も逝き吾に永かり昭和のみ代は
落ちこぼれ短歌など詠みて詮(せん)もなし妻はあの世で笑っておらむ
実際の私の日々は何なのか優柔不断の枯落葉なる

  「評」すでに卆寿を越し、明晰、完全するところなし。

      サンパウロ      武地 志津

秋場所の初日二日と連敗の白鵬休場となる大波乱
遠藤の大健闘も土俵ぎわ豊ノ島関の肩透かしに落つ
見応えのある四ツ相撲満員の客の拍手と歓声が沸く
稀勢の里脆くも崩るそのたびに満員会場静まり返る
終盤に足を負傷の照ノ富士決定戦に挑む心意気

  「評」来る場所毎に、短歌五首をもって、日本の大相撲の見どころをぴたりと据えてくれる武地志津さん。四首下句、またかと小生の胸を打った。そしてまた抒情、叙景、五首をすらすらと添えてくれるベテラン。

      バウルー       酒井 祥造

さながらに魔神の如き台風の雨風荒るる日本の山野
刻々と洪水の水高みゆく街浸しゆく惨禍テレビに
歴史にもなき大雨を記録する温暖化止まぬ地上の惨禍
高み来る洪水に浸る家の屋根助け求むる人々叫ぶ
自からが招く惨禍か人類の自然破壊が起す天災

  「評」心しずめてこの作品を読むと、只の受け売りではない。しののめ白らむ頃から、夕星(つづ)の沈むまで植樹のための荒地を耕す、眼(まなこ)がどの作にもあらわれている。因みに氏の子、孫大農主である。

  サンジョゼドスピンニャイス  梶田 きよ

楽しげに箸使いいる伯人と目が合い微笑みかわすレストラン
割箸もピンからキリまで爪楊枝に俳句そえられあるは楽しき
割箸に添えられありし金言に教えられたることもありたり
空が混み合うこんな言葉も現れて卆寿の心臓何かおかしい
卆寿すぎて早くも三年この調子ならひょっとして百歳までも

  「評」これほどすらすらと定型を保ちながら、接続詞をこなし、意味を通して詠みつづける力はやはり幼少時の京言葉の聴覚感の蓄積かと察せられる。年なみを重ねるほど甦るものらしい。

      サンパウロ      武田 知子

娘や孫の言葉駆使して旅つげる小さき土産は我がコレクション
冷蔵庫冷凍庫にもドルユーロの化けし土産を扉に貼りつけ
雪が舞ひミニ貝類のささやける居ながらにして厨は世界に
南北の太平洋の貝類に日本海のもコレクションとし
食べ殻をコレクションとは貧しかり彩に魅せられ棚に飾りて

  「評」この作者はよく「て」を用い、初めの頃は地方訛かとも思うふしも感じたが、さにあらず。この人の行動範囲の広さからして、自分で納得し他にも言い聞かせたい幅広い「助詞」だった。「ドル・ユーロ」「南北、太平洋」そして「日本海」が一首の中に詠み込まれる「コレクション」作品とは。人類が人類に用いた原爆のマクロの中を彷徨した作者には偶然ではなかろう。私はそう思う。

      サンパウロ      水野 昌之

自炊とはおのれの食事作ること他人の指図のなきが何より
厨棚に置きたるコケシ細き目で口動かさず自炊見守る
夕食の大根切りつつあれこれとレシピ考え半時過ごす
食べ散らし孫らの帰った食卓も茶碗一つの暮らしにもどる
老いらくの再婚話の目的が自炊逃れと知れて終わりぬ

  「評」飄逸として清々しさのただよう作品。そして見つめて行きたい。活字にして下さり有難きことこの上なしですが、紙のサイズをこの倍にして頂かないと紛失のおそれがあります、お願いします。

      サントアンドレー   宮城あきら

下校時の児童(こ)らのざわめく校門に送迎バスの始動音たかし
治安荒らくもこの国の児童らのあどけなさつき添う父母の思い切せつ
それぞれに今日の別れを惜しむがに児童らの長きハグのひと時
荒き世に学力低下叫ばれて教育のありか大計もなくに
痛ましき大田君事件想起(おも)われる送迎に翳るこの国のすえ

  「評」一首目終句「始動音たかし」迫るものあり。二首結句、「哀しむ」は「切せつ」としたい。

      サンパウロ      坂上美代栄

掃除婦の仕事探せし昔あり採用ならず今日を生かさる
貧乏を好むでないがそれもよし贅沢知らぬは知らぬ幸せ
地球から月の裏側見えぬもの人の裏側時には見えし
会えば又弱りしところ話す吾早くこの癖取らねばならぬ
添削をいただき気付く欠陥歌今日や明日には成らずも愉し

  「評」渡世哲学をのぞかせた作品。己に引きつけてのものであれば面白い。四首目にいたって更に面白い。ようやく、若葉繁葉の時に至った、ここに面(おもて)を向けるのも、いいようだ。

      カンベ        湯山  洋

この歳で今から街へ引越すは希望よりも失望多し
俺は嫌妻も嫌だと言う街へ時の流れに押し流されて
子供らの郷里となりしこの家も時の流れに寂れ行くのか
子や孫と農を夢見し吾なれど時の流れに夢は消え去る
耕やして植えて育てて収穫するこの楽しみを子供や孫に

  「評」その思いを胸に小生も六人の子にひかされて出聖した。自力で独立、いたって皆健康、孫十一人、先祖に感謝している。生めよふやせよの世が来れば、純朴な防人(さきもり)等をも歓迎する。

      ソロカバ       新島  新

潮の変り目読み違え大漁逃せしとう古老の述懐
お袋の味謳うなら少しでも美味い物をと愛の心で
老妻の作るボーロは正にボーロナイフ入れ損ねればボロボロ崩れ
婆さんがいちいち御託並べるはテレノベーラの影響ぞこれ
夕ざればプールに入りて弛緩する一足とびの暑さ凌ぎに

  「評」様々な歌詠みに出会する。互いに切磋琢磨しあっているのだが、なにせ八十歳前後あるいは卆寿の人もありで作品よりは、歌人との付合いが好きでと、言う人もある。歌人が好きでとのらす人は、やはりそうした歌を詠む、そして人に愛される。

      バウルー       小坂 正光

喜々として幼女は父に掌を引かれ踊るが如く歩き行きたり
幼な児は些細なことにも全身に喜び見せて遊びいるなり
大人とて幼な児のごと新鮮な驚き持てば若さ保たむ
年々の季節たがわず街路樹の金鳳花梢にさゆらぎ初むる
白イッペー九月半ばをおちこちに目覚る如く鮮やかに咲く

  「評」父親に掌を引かれて行く幼児の動きに目を向ける作者、何でもないことの様で人間にはこんな瞬間があるものだ。その「たまゆら」の幼児帰りを思う、恍惚。

      アルトパラナ     白髭 ちよ

稀に逢う卒寿祝いの会場はお目出度うの声次々続く
卒寿と思えぬ程の元気な義姉百歳の祝いも吾待つと笑まう
編物の手を止めては傍らの花と語らい餘生を思う
来る年も此処にて花との再会を吾に与うや神のみぞ知る
テレビに見る難民の数の多き事早き停戦ただただ祈る

  「評」米寿をつつがなく越し卆寿に至り、自ずから至福の笑みを、人々にも贈ることの出来る人はきっと百歳までもと、作者もそれにならっている。手先を使い、花を愛し、人類愛を思いながら。

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