「六段」はミサ曲だった?!=聖歌隊と筝曲の会が夢の共演=文化交流の歴史ロマン再現=120周年記念し修道院で5日

 500年の時を超えて、キリスト教の日本布教が残した文化的痕跡がサンパウロ市で荘厳に蘇る――。ブラジル筝曲宮城道雄の会(長瀬令子会長)とサンパウロ・サンベント修道院が共催で、『グレゴリオ聖歌と筝曲演奏会』を11月5日午後8時から同修道院(Mosteiro de Sao Bento de Sao Paulo、メトロのサンベント駅横)で開催する。日本の伝統音楽「筝曲」とカトリック教会「グレゴリオ聖歌」の共演が行われることになった。その理由は16世紀中盤の日本に遡る―。

 日本の伝統音楽・箏曲「六段」のルーツはグレゴリオ聖歌ではないか―との説を、音楽学者の皆川達夫氏(立教大学名誉教授)が提唱しており、2011年には同氏が指揮を取り、二つの音楽を同時演奏で共演させたCDも発売された。
 1549年にフランスシコ・ザビエルが日本に渡ってキリスト教布教を初め、1613年に日本全国での禁教、大弾圧を経て鎖国となった。それをかいくぐって、神父が伝えたグレゴリオ聖歌「クレド」(ミサ曲)を、こっそりと筝曲に書き写して〃秘曲〃にして伝えた―という説だ。
 「六段」を普段から演奏している宮城の会は、日伯外交120周年を記念して、それをブラジルで共演を再現しようと思いつき、今年2月頃より同修道院と話し合いを進めてきた。同修道院には、ブラジルでも数少ないグレゴリア聖歌の聖歌隊があるからだ。
 当日は20人の聖歌隊が参加する。聖歌隊の指揮者、アレシャンドレ・デ・アンドラーデ司教は「当修道院は1598年創立なので、奇しくも日本へのキリスト教布教と同じ時期。500年前の歴史を検証する大変意義深い機会だ」と期待を寄せている。
 長瀬会長は「日本の聖歌隊と共演した公演はあるようだが、外国の実際の聖歌隊と共演するのは世界初では」という。会場となる修道院にはブラジル最大級の7千本のパイプオルガンがあり、当日も伴奏として使われる。
 以下公演の詳細。【1部】グレゴリオ聖歌クレドと六段、(聖歌隊、箏、三絃、尺八)【2部】ウビ・カリタス、アベ・マリア、テ・ラウダムス(聖歌隊)【3部】春の海、尺八演奏、豊年太鼓(邦楽)。入場無料で600人収容。外交120周年記念事業。国際交流基金(深沢陽所長)、ブラジル邦楽協会(シェン・リベイロ理事長)後援。
 問い合わせは長瀬会長(11・3289・3303)まで。

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 皆川達夫氏の説の粗筋は次の通り。〃筝の祖〃筑紫筝の賢順が、九州のキリシタン大名・大友氏に会いに行った時にたまたま、グレゴリオ聖歌と出会い、「六段」「乱」「八段」が作曲された。秀吉、家康によるキリシタン禁制令が酷くなったため、彼はこの三つの曲だけを〃秘曲〃として外部に出さなかった。この秘曲を伝授されたのが玄恕で、彼から皆伝を許されたのが〃近世箏曲の祖〃八橋検校(やつはしけんぎょう、1614~85)。音階を変え、現在の筝曲に仕上げたのではないかと推測している。その曲が、日本にキリスト教を伝えたのと同じ時期にサンパウロに設立された修道院の聖歌隊と共演とは、歴史のロマンか。