父の遺志を遂行した金城郁太郎の移民物語=上原武夫=(5)

郁太郎家の木造の住宅

郁太郎家の木造の住宅

豊作を夢に猛暑と一騎打ち

 鍬を握った最初の瞬間に農場を見回した郁太郎は「必ず儲けて叔父さんみたいな農家になるんだ」、と勇気を新たに独りごとで心に誓った。明け方から日暮れまで、握りどおしのエンシャーダに手まめも腫れ、切れて痛む。
 しかし、それはもともと覚悟の上、手袋をはめたり取ったり、豊作を夢に流れ落ちる汗も袖で拭い、沖縄から持参した米兵払い下げの厚手の作業服も汗でびっしょり濡れる。その重労働も自分たち家族のため、疲労を感じない日々である。
 共に働く馬も首から背に汗に濡れ、鼻息も荒く疲れ気味だ。2頭の馬を一日置きに休ませたが郁太郎は年中無休、必死に働き続けた。雇人は5時までの勤務が済むと何も云わずにさっさと帰宅、パトロンの側で働くきつさが伺える。
 太陽が沈むまでまだ2時間半もある。時間を気にもせず働いていると牧場の彼方は黄金に染まり、絵に描いたような美しいアカネ空、母ちゃんや子供達の迎えの笑顔が見える様だ。供の馬も帰りの足は速い。
 手綱を握る手も肩まで上り、引きずられる様に帰宅。鞍をはずし馬の背を2回軽く叩き、「お前も疲れただろう、ありがとう」と言って放す。台所のベンチに腰を下すとほっとため息がもれる仕事終わりの一日である。
 「疲れたでしょう、風呂も沸いてるよ」、優しい母ちゃんの声には温もりがある。焼きつく様な昼間の暑さも何処へやら、涼しい静かな農場の日暮れ時、温めの風呂に浸かり身体を癒すと何とも心地良い。3個のランプを高めに据え、はしゃぐ子供達の笑顔が揃う夕食時である。
 牧場や農場に囲まれた一軒家、電話・テレビ・ラジオ・新聞もない。社会状況もどうなっているのか、沖縄では先輩後輩の知人友人も多く何事にも敏感だった郁太郎夫婦、今では他人と接する機会もない。子供たちも兄弟や従弟の他に友人もない。日焼けした体は、目玉と歯が白く目立ち黒人系のようだ。いつもにこにこ健康で可愛いい。すくすく成長する子供達に身も心も癒され目を細め、心に誓った安定した子育てへの思いをかみ締めるのであった。
 夕食が済むとしばらく夫婦話、優しく手の平を開き剥がれ切れた手豆の治療をするかあちゃんの愛が伝わってくる食後。ランプをかかげ早めの寝室入り。夜鳴き鳥や虫達の合唱が子守唄の様だ。それ以外の雑音はない。飼い犬までが朝までグッスリである。だが人は疲れが過ぎると寝付かれないそうだ。早寝のせいもあろうが真夜中に目を覚まし猫足で台所へ、3枚繋ぎの厚板の戸を半開きにして、首だけ出して天を仰ぐと、月明りと星空にがっかり、今日も晴れか。むなしい夜明けだ。

悪天候に賭ける稲作農民

 オテントさん次第のやりようで勝負が決まる百姓人生。初植えの稲も20センチほどに伸び、朝夕風に揺れ緑のさざ波のようだ。郁太郎夫婦にとって一番の楽しみは、日々成長する作物を目の辺りにすることであった。1年1度の収穫収入、この調子で行ってくれれば、と願う。寝ても覚めても気になるのは天候だけ。毎朝毎晩空に向かい、雨を賜ります様にと祈りを捧げるが、無情のオテントさんも願いを聞いてくれない。