第67回全伯短歌大会=イビウーナ 瀬尾正弘

 1996年にパウリスタ新聞が編集した『日本ブラジル交流人名事典』の中の資料の部308頁に、サンパウロ市で1949年第1回全伯短歌大会が開かれると記録されている。同書に、2年前の1947年にサンパウロ新聞、パウリスタ新聞、そして1949年に日伯毎日新聞がそれぞれ創刊されたとも記載されている。
 当時はまだ第2次世界大戦が終結(1945年、昭和20年)の4年後で、日系社会では勝ち組(臣道連盟特攻隊が主体)と負け組の抗争などで騒然としていた時代であった。
 この様な背景の下で第1回大会開催にふみ切った、執行役員諸先輩の決断、努力熱意には敬意を表します。案ずるより産むが易し、大会は成功。2回、3回そして連綿と続き、今年は67回目の開催となった。
 また、大会以外で追記しておきたいのは、二大短歌集の発行であります。日本移民70周年を記念として発行された『コロニア万葉集』。作者数1378人、作品数6634首。もう一つが日本移民百周年記念として発行された『祖国はるかに』。作者数134人、作品数2680首の二大歌集である。
 古来、日本人は短詩、特に短歌を詠むことにより、喜怒哀楽、自然風景などを取り混ぜ、自分の心想いをうまく表言することを得意としてきた。移住者は異国での生活で、開拓時代の苦労話や郷愁的歌が多く詠まれている。
 しかし、両親と共に移住した幼少者、ブラジル生まれの2~4世代、更には個々の感受性にもより、詠み方も様々だ。
 だが、総括して言えることは、日本移民の歩みであり、生活の実態が現場を浮き彫りにしている様に分かり、日本移民の歴史書であり、精神史として理解できる表現が多く、貴重な移民歌集だと思う。2冊とも当時の短歌界のリーダー指導者が中心となり、刊行委員会が結成され、編集発行された。
 今年の67回大会は、ニッケイ新聞社・深沢正雪編集長、椰子樹社代表・多田邦治共催で開催された。1位を獲得した歌は、『終(つい)の地と決めて悔い無きブラジルに老いて尚見る故里の夢』富岡絹子さんが詠まれた歌だった。

左から、JICAゲスト・与那覇博一氏、ニッケイ新聞社・深澤正雪編集長、椰子樹・安良田済氏

左から、JICAゲスト・与那覇博一氏、ニッケイ新聞社・深澤正雪編集長、椰子樹・安良田済氏

 私も故里の夢はよく見る。私は移住して60年になるが、故郷・徳島の昔日の日々の物事にふれない日は一日もありません。といっても、強度な郷愁という思いとは大分違う。言葉を変えれば、故里の夢や、過ぎ去った故郷での思い出にふけるのは、移住者の宿命であり宝だと思う。
 ともあれ、希望に燃えた第1回大会の意義をいつまでも継承し、第百回大会が実現される事を期待している。コロニアの短詩文芸がいつまでも続くことを願いつつ―。