ニッケイ歌壇(500)=上妻博彦 選

      ソロカバ       新島  新

刻を告ぐる一番鶏もまだ鳴かぬサマータイムの今朝午前四時
※ブラジルでは毎年、10月の第2日曜日より2月の第3日曜日まで夏時間となり、1時間早まる。

日曜の始発のバスは五時なれば四時には起きて仕度する仕儀
青い目の蛙に会いし蟇一匹不動の姿勢崩すことなく
六人で走りどん尻競いたる幼馴染よおーい元気か
一ペイジ短歌俳句で埋められしニッケイ新聞じっくりと見む

  「評」奇骨ある歌詠み、いつもそう感じる。一見飄逸な人の様に思われるが、さにあらず、綿密に組立てられた作品。

      サンパウロ      相部 聖花

花終えし菊の根埋めしが青々と葉を伸ばしたり蕾ものぞく
待ちいたる娘(こ)や孫来たらず用意せし残りの書食冷凍にする
彼岸には黄粉と餡のおはぎありき質素な暮らしの道場員にも
電話コール急ぎ受話器を手にすればプロパガンダの録音かしまし
日に一度郵便箱をのぞくなり配達ストは今日もつづける

  「評」配達ストのため、一週間の原稿整理にづれが生じた。娘や孫を待つ気持ちがものやわらかに表現された。過ぎし日の道場生活をふりかへる作者。ひょっとすると、現今の子供達は祖母の家での一と時は道場なのかも知れない、そうあってほしい。

      サンパウロ      水野 昌之

八十年昔就労の荒廃地に戦前移民の幻影を見る
下駄でなくタマンコだよと言ったときふと甦るコロノの時代
※『タマンコ』とは、ポルトガル語で木靴のこと

植民地の全員集い夜の風にゆれるスクリーンみつめた戦前
色褪せしコロノ時代の写真には父母の後ろにムチ持つ人も
炎昼に野良用樽から水を飲むうおおおおっと吠えながら飲む

  「評」幼少で連れられて来た移民達には、学業どころか日本語の本が禁じられた時代さえ有った。この人達が過去を回想する作品を生むのはごく当然なことと思う。つわもの共の夢の跡は、五首全体に表出された。三、四、五首の『夜の風にゆれるスクリーン』『父母の後にムチ持つ人』『水をうおおおおっと吠えながら飲む』

      カンベ        湯山  洋

今日からはシダドンですと言われても日焼けの皺顔百姓の顔
鍬胼胝の節くれ指も今日からは爪の汚れも綺麗になるかな
汗かいて腰折り曲げて鍬を引くこんな仕事も止めれば淋し
シダドンと為りても頭は畑に有り雨風天気気になる毎日
汚れ靴テニスに替えて公園を朝毎歩く新しき日々

  「評」どの作も、子供達にひかされて、都市に移り住む農業移住者達の思いがある。民族の坩堝と言われるこの大陸からも、近年極東の細長い島国へのまなざしがあるのだが。

      バウルー       小坂 正光

渡伯時に生れし末弟を伴いて八十五年の廃耕地訪う
コーヒーの樹海で栄えしノロ線の末弟生れし廃耕地訪う

ノロエステ線(写真:移民八十年史編纂委員会『ブラジル日本移民八十年史』より)

『ノロ線』とは、ブラジルの鉄道ノロエステ線(バウルーからアラサツーバまでの)のこと。この鉄道沿線ではコーヒー栽培が盛んで、そのコーヒー園の働き手として入った日本人移民の植民地が多く存在した。
(写真:移民八十年史編纂委員会『ブラジル日本移民八十年史』より)

生れ出て人生一と幕老いの坂今朝も洗顔ヒゲを剃るなり
夜半覚めて寝むれづ文を手になせば何時しか刻の過ぐるに気づく
朝毎にコーヒー呑みつつ老い妻と冗句まじりの会話を楽しむ

  「評」 『人の世を流れながされ角すれし丸石(まろし)となりて川底に寄る』
 三、四首により触発されて右の歌を作って見た。小坂氏の作品が今回ぐっと丸味のやわらかさを感じさせられたからだろう。

      サンパウロ      坂上美代栄

父用に畳三枚買い求め子等と初孫加わりて待つ
シャワー慣れぬ父に用意のイゾポール風呂に代わりて急場をしのぐ
※『イゾポール』とは、ポルトガル語で発泡スチロールのこと

老齢の父選ばれてシンパチコ観光バスの余興に照れいる
※『シンパチコ』とは、ポルトガル語で『感じがよい』の意

登り来てキリスト像に感激の双手広ぐる父は小さし
八十路にし健康保険も使わずに表彰受けし父は癌で逝く

  「評」この作品の流れから、久しく遠く父を迎えての日々が想像される。どの作にも父への心くばりと、親子の情が感じとれる。

      バウルー       酒井 祥造

トラクター耕す音のひびく朝たちまち寄りくる野鳥の群の
耕しの畝に多くの虫出づる餌を欲る野鳥きそいつつ食む
鷹来れば影をひそめる野鳥達王者の如く鷹は歩める
人言えど王者の意識持たぬ鷹争う如く蚯蚓など食む
ふみくだく白蟻の塚蟻群るるたちまち鷹は寄りて蟻食む

  「評」トラクター作業しながら、周囲の生態を仔細に観察する酒井氏のまなこ。日常農業にたづさわりながら、気象への気くばりは、並ではない。そして歌を詠み、作品集を次々に生み出している。

      カンベ        湯山  洋

この歳まで田舎暮しの俺がいま街生活をする羽目となる
塀高く門や扉に鍵掛けてひっそり暮すは吾には窮屈
アスファルト焼けて熱風吹きくれば田舎の木蔭に戻りたくなる
夕食後田舎の癖が抜け切れず庭に涼めど星は光らず
庭いじり畑仕事もなき今は運動不足で惚ける気がする

  「評」己の歌をかざらず詠みこなすことの出来る人。歌全体に流れる純粋さが読む者を魅了する。

 【くいな十七号平成二十七年(夏)<特別寄稿>より転載】

      鹿児島県・種子島市  大木田敏明

農家には嫁ぐ女は稀もマレ中年の彼はひとり畑に
八十の母子の加勢せんばじゃと杖つきて畑へ坂道登る
「豊かで明るい未来を」連呼する選挙五十年前も五十年先も
銭欲しか銭欲しかとも聞こゆるは島の首長の癒着の響き
主のなき家はベッカーし芭蕉熟れ子は何処に居て何してるやら
 ※『ベッカー』は、ぺちゃんこに倒壊の様子

      サンパウロ      上妻 泰子

急(せ)くことも少なくなりし昼さがりもの言ひて寄るミニアンツリオ
ままならぬ思ひをひめて登る坂塀ぎはにタンポポ根づき咲きをり
もらひきし三つ葉植えむとにぎる土とほくなりにし農の日想ふ
この年は花のおくれしイッペーの梢に凧のなびけるが見ゆ
黄の花のさかりこぼるる道の辺に想ひだしをり「いつか来た道」