中島工務店=「未来永劫保存する」=4度目の日本館自費修復=作業1カ月、年明け開館へ

 ブラジルにおける唯一の純日本式建築、建設60周年を昨年迎えたサンパウロ市イビラプエラ公園内の「日本館」が、25日から本格改修のために一時閉鎖されている。これまで3度、自己負担で作業してきた中島工務店(本社・岐阜)の中島紀于代表取締役(71、岐阜)らが同日昼、同館で会見し、約1カ月にわたる修復を前に、「未来永劫保存できる状態にしたい」と力強く語った。

 中島工務店の業務は住宅建設、道路舗装、上下水道の整備など多岐にわたるが、「木材によるものづくり」をモットーに社寺や木製住宅の建築を得意としている。岐阜県中津川市に本社を構え、東京や大阪など全国に12の支店・営業所を持つ。現在は大工ら約200人の従業員を抱え、約40の社寺、約60の住宅を建設、修復しているという。
 中東ドバイ経由で24日夜、中島社長と20~50代の宮大工6人が来聖。文協の松尾治副会長、日本館運営委員の尾西貞夫顧問、伊藤誠施副委員長らが出迎えた。翌25日から早速作業を開始し、来月22日までの約1カ月間、本格修復に取り掛かる。
 数寄屋造りの日本館は1954年、サンパウロ市400周年を記念してコロニアが力をあわせて取り組んだプロジェクト。岐阜出身の有名な建築家・堀口捨己氏(1895―1984)によって設計され、材料も全て日本から調達された純日本製だ。
 築61年が経過し、シロアリや老朽化で腐敗した柱や土台、屋根裏の木材を新品に取り替える。建物の一部を持ち上げて土台だけを取り替えるなど、高度な技術が必要とされる作業だ。
 今回の修復は県産材の需要拡大を目指す岐阜県が、材木費として100万円を援助。防虫・防腐剤を付着させた新しい県産ヒノキとスギ(コンテナ一つ分)が6月、日本館まで無事運ばれていた。文協は滞在費や移動面を負担する。
 中島社長にとっては移民80周年(88年)、90周年(98年)、一昨年の105周年以来、今年は外交樹立120周年で4度目の修繕作業。
 日系社会の節目ごとに自己負担で修復を請け負ってきた中島社長は、「岐阜出身の堀口さんが設計し、日系人が長年支えてきた日伯の重要な文化財。県や文協の心強い支援を得て取り組むにあたり、未来永劫保存できるよう尽くす」との熱い想いを語った。
 また2度目の日本館修復に臨む、棟梁の松下智廣さんは「交換箇所の見極めが重要。50年、100年残せるよう持てる技術を注ぎたい」と意欲を見せた。
 作業に伴い日本館は1月5日まで閉館する。また外交120周年の特別事業となっている今回の修復作業だが、今のところ支援額は判明していない。12月上旬に最後の120周年委員会が行なわれ、そこで明らかになる見込み。

□関連コラム「大耳小耳」□

 自身4度目の日本館修復に臨む、中島工務店の中島紀于社長。今回の自己負担は約1000万円という。人件費や材料加工費のほか、作業後のアマゾン観光代も含まれているというが、それは「大工らへのご褒美」という同社長の計らいだ。それでも「過去3回と比べ最少」らしく、これまでの負担総額を思い起こし、「ベンツ何台買えたかなぁ」と豪快に笑いとばした。日本館修復の様子は同社フェイスブック(www.facebook.com/nakashimakoumuten)でも発信中。