ニッケイ歌壇(501)=上妻博彦 選

サンパウロ      武地 志津

亡娘(こ)が夢のなかの一と言閃くも瞬く消ゆる明けを目覚めて
亡娘の肩を深く抱けば頬寄せつ彼の日の笑みを残して去りぬ
命日の娘に供へてと届く蘭、赤むらさきの花満開に
花の色遺影の吾娘が身に着ける衣服とおなじ偶々(たまたま)にして
蘭好きで陽気でありし遺影(うつしえ)の娘の辺り華やぐ今日四周忌

  「評」氏の作品に完全する所はない。ひと言、逆縁の子の四周忌、ひと言も主観語を言わず深みを表現している。

      グワルーリョス    長井エミ子

人の道作法通りに踏みもせでおもろき事のなきを嘲る
移民とは柳行李に子を入れて野山を削り獏飼うやから
山鳥の糞あまたある廃屋の日照雨(そばめ)抜けをる午後の明るさ
日ぐらしのルーリルーリン暑い午後この身異国(とつくに)はや世のはずれ
外食の浪費観念捨て切れぬ移民根性笑う花あり

  「評」詩情もさることながら、思想性に裏打ちされた発想に深味があると思う。それでいて人心を魅了する、現代短歌と言いたい。

      サンパウロ      相部 聖花

この朝の新聞を読むひとときが社会とつながる我なりと思う
デング熱患者増えしの情報に雨水容器の蓋を見直す
ブロメリア蚊の好む水葉にたまると記事読み惜しくも引き抜き捨てる
月見草あまた育ちて丈低く夕闇迫れば花明かりする
月見草開花見忘れ色付きてしぼみたる花見る朝惜しむ

  「評」身辺の日々の具体行為で心の繊細な襞を覗かせてくれる作者。

  サンジョゼドスピンニャイス  梶田 きよ

新しき『文春』眺めて感無量桜の名所を次々と読む
花の命短いことが残念と桜ながめて言う人ありと
十二年住みたるのみの京の町桜眺めし事ぼんやりと
川の面を流れる桜花びらの優雅なるさまじっくりと読む
有名人語る桜の名所見てつくづくと読む感無量なり
この年になっても忘れぬ日本のことは脳裏にやきついている

  「評」読書に触発されての京の町の追想、若い柔らかい頃の記憶は次々と浮んで来る。五首、そのまゝを三十一音字につなぎながら、そこに韻律があるのは、短歌を愛し、口づさんでいるからだろう。これにつづき十首の投稿がとどいた。

      サンパウロ      武田 知子

プリンスの赤い絨毯踏みしめ来、行啓ほぎて握手交はせり
すがすがしき微笑受けつつ握手せる紀子様の手の温みじんわり

秋篠宮殿下と紀子妃殿下が、ブラジリアで連邦議会主催の日伯外交樹立120周年記念式典に参加されるため10月28日に来伯、11月8日までの間に10都市を訪問された。

秋篠宮殿下と紀子妃殿下が、ブラジリアで連邦議会主催の日伯外交樹立120周年記念式典に参加されるため10月28日に来伯、11月8日までの間に10都市を訪問された。

広島の神楽公演紅葉狩『八岐のおろち』の神話思(も)い出づ
相席の同輩なれど二世とて説明せるをうなづきて見る
混み会うを見越し早めの墓参なり夫逝きてより早やも八年

  「評」久しく潜めていた武田(宗知)作品の本領が『じんわり』と伝わって来る一連。

      サンパウロ      水野 昌之

曇り日は何か忘れているようで邦字新聞くまなく読みぬ
この国の事情に疎く暮らし居り新聞に読む法律相談
邦字紙を読みてその後は日本語を交わす人なくひと日の終わる
週一度歌壇俳壇年一度大会催し読者サービス
言うならば野次馬趣味か投稿欄の高説公論窺いて読む

  「評」どんよりと何もかも忘れるこの頃、いよいよ叱られている筆者(私)、幸いアパートの窓から見る、教会の広場の森の季節の移りの他は全く疎い毎日で法律などめくら同然で過ごしている。よって用心深さは石橋も叩かない。五首下句の一字を抑えて見たがどうでしょう。

      バウルー       小坂 正光

誘はれて危ふしと見し妻の止めし幼な日の長男事故免れる
御先祖に守られ長男、幼き日事故を逃れし幸せに謝す
子を思う母の一と言、吾が家の行く末守り繁栄もたらす
創り主、地球に月を近く置き全ての生物愛しみ給ふ
古の唐の国より仲麻呂は月を仰ぎ見ふるさとを恋ふ

  「評」母親の感はそら恐ろしいことは、口に出さないが父親のよく感じることと私は思う。ここには幸運の月を置いて、感謝する作者がある。阿部仲麻呂は秀才が由に唐の朝廷につかえて客死する。

      サンパウロ      武地 志津

朝はやき病院内に行き会いし日系女性の親しく笑まう
まだ勝手わからぬ我に先立ちて気遣いくるる自然なさまに
〝お大事に〟とことば残して去る女(ひと)の後姿(うしろで)目で追う胸に謝しつつ
病院の廊下でブラジル人掃除婦のつと腰屈め抓みいる塵
納得に頷き見居りその仕草日ごろの我も同じ事する

  「評」日頃体の強い人でも、病院内では特に日系人との出会は、心づよく感じる、その一挙手一投足が目につく、四、五首に作者を見ることが出来る。

      カンベ        湯山  洋

吾短歌作り始めて六年目六年生の歌に至らず
基礎となる国語を確と覚えずに思い気儘に自己流の歌
長すぎた勉強せずの空間が夜の机のペンを困らす
何回も吟味推敲重ねても言葉途切れて首尾よくならず
年頭に切磋琢磨と師の言葉真摯に受け止め精進続けん

  「評」湯山氏の作品を詠み、心引かれるのは、『国語を確と』と述べながら、作品全体が基礎をなしていると思う。それは純粋な人となりに依るものと私は思う。これまでの作品でそう感じて来た。

      イビウーナ      瀬尾 正弘

サンパウロ市より山家に移りて十五年記念の植樹アバカテなりき
※『サンパウロ市』はサンパウロ市のこと

アバカテの初生り四個二年目は二十個生りしさて今年は
期待せし花芽ぎっしりどの枝も八九月には花こぼれおり
11月目につく程の粒となり楽しい予測概略七十個
待ち遠し熟すは五月その日まで吾子の成長待ちし日想う

  「評」山家をめぐる樹木、山菜などの生育と共に蘇ることども、一つひとつ指をおりながら想いふける作者の表情が見える作品。

      サンパウロ      坂上美代栄

急かされて窓を開くれば金星が上弦の月に止まりておりぬ
薄切りの大根一枚飛んだかに明かるさの中に気づかれぬ月
雨量ともならぬ霧雨続きいて洗濯物を厨に吊す
幼少より野球選手で鳴らしたる子息の事故死に村はざわめく
若き子を亡くせし母は夜を通し涙の果てず茶をしきり飲む

  「評」夜空を仰ぐことは女性(主婦)にとって必然なことなのかも知れぬ。それは明日の天気の事にしても、特に毎日の洗濯物もあろう。だから金星のかがやきも、ひょっとしたら、上弦の月が『大根の薄切り』の明るさと言った発想もだ。子を事故死させた母親の、体も渇くほどの涙に、茶を頻りに飲むその顔が夜空を仰いでいる様にも想わせる。

      モンテ・カルメロ   興梠 太平

本棚の書名を見ては思うかな見つけた時のその嬉しさを
赤線を再読してはあの時の胸の高鳴り反芻している
手に取ればどの文庫にもあの頃の私がいて思いはつきず
この蔵書残してゆくは惜しかりきどうしたものか何時まで読める
いくたりの心優しき友がいて共に涙したこの文庫本

  「評」青年の頃を振り返ると全く同じ思いだ。今頃は再読どころか、横積みの本がたまり出した。本が世の中から姿を消すことも考えられる。テレビの前に座ると船をこぎ出すまで立つことを忘れる。

  サンジョゼドスピンニャイス  梶田 きよ

新しき米の名『青天の霹靂』にひかれて並ぶ青森の人ら
色々と祖国のニュース聞くたびにふと思い出す京都のことも
なんとなく短歌は魔法の如くにて沈みし心にふと差す灯り
このような好評受けて感無量短歌へ思い深まるばかり
杖なしで歩けぬ吾がこの宵は言葉の杖をじっくりと詠む

  「評」作者は短歌を『魔法』と言った、まことに私もそう思う。梶田氏の知る、安良田氏は先日、百歳の誕生日を祝った。梅崎氏は九二歳、両人とも矍鑠とされている、この『魔法』に、八二の弱輩もあずかりたく歌人達を愛しつづけている。