「真珠湾攻撃が全てを変えた」=日系米国人、FIBで訴え

 ブラジル日本福祉協会(呉屋春美会長)主催の『第7回文協フォーラム(FIB)』が11月21、22日、文協貴賓室で行なわれた。22日には、日系米国人の俳優・小山ロージさんが米国日本人移民に関する講演を行った。
 笠戸丸以前の1885年には、契約移民として900人が山口や広島県から東京丸でハワイに到着。もちろん永住ではなく、ほとんどが「3年程で帰る」つもりだった。
 「莫大な金を稼げる天竺(天の場所)」のはずだったが、到着すると過酷な労働を強いられ、現場監督からは番号で呼ばれ、粗末な住居で住まわされる「殆ど奴隷同然」の状態。「いつしか金を稼ぐことから、日本に帰ること」が目標になっていったという。
 その後、日本人同士の結束は強まり、頼母子講で融通し合い、何とか生き抜いたことなども紹介された。
 またアメリカ本土の日本人移民にも話が及んだ。カリフォルニア州などでは1910年代に急激に増える日本人の存在を危惧し、土地所有禁止や借地にも制限があった。
 その後状況は落ち着きつつあったが、1941年の「真珠湾攻撃で全ての状況が変わった」。敵国民になった一世と二世たちはカリフォルニア州を始め、各地の強制収容所に集められ、共同で生活。中には劣悪な環境のものもあった。
 一方、一部の二世たちは、連合国軍としてフランス、イタリア戦線に参加。大戦が複雑なアイデンティティを抱かせたことが紹介された。
 最後に米国の日系社会徐々に結束が無くなり、「現在は危機の状態にある」と説明。ブラジル日系社会に対し、「ユニークで美しい文化を持つことで繋がっているのだから、何か共同でできるかもしれない」と期待を示し、締めくくられた。