パラグアイ=入植地調査よもやま話=坂本邦雄=(8)

 この時ももしウインチが無かったら、どうしてそのような難所を渡れたかも解らなかったのである。かくしてペオンの案内で同地のある牧場の施設に辿り着き、主人は不在だったが、留守役のカパタス(管理人)の厄介になる次第となった。
 その牧場の位置、主人公等の名は今ではとても思い出せないが、どうもグアイラ県の旧ファサルディ農牧林産業会社の領域に属していた所ではないかと思える。
 ちなみに、ファサルディと云えば、戦前の日本人入植地調査の初期に一選択肢として検討されたと聞いた覚えがある。
 とんだジープの事故で、吾が入植適地予備調査のスケジュールは中途で頓挫した始末になったが、瀬川技師はこれまでの実地踏査の結果を、時間の予定もあるので、一足先にここからアスンシォンに帰って報告書の作業を急ぐ必要があると言う。
 よって、「では、幸いこの牧場には飛行場もあるので、アスンシォンに電報を打って迎えのテコテコ(エアタクシー)を寄越してもらいましょう」、てな事になった。今はどこでも簡単に携帯電話一つで済む話だが、当時は田舎に電話などは無く、トンツー式のモールス電信機がどこかの町か駅にあれば良い方だった。
 さて、ではその電報をどこから出せるか、牧場の管理人に尋ねたら、その地方ではちょっとしたサンフアン・ネポムセノまで行かねばダメだと言う。では、その町に行くにはここからどの位の時間が掛かるかといえば、馬で往復2日程との事だ。
 馬の話になったのは、ジープで行けば、ガソリンが減っていて、途中で燃料切れにでもなれば、それこそ面倒な事になると私は心配したからである。
 それで、瀬川、田中の両技師にはそこに残ってもらい、私はすぐにその日の午後、連れて来たペオンと一緒に、牧場の馬をそれぞれ借りて、サンフアン・ネポムセノの町へ出掛けた。
 馬は大変可愛い動物で、行くうちに間もなく日が暮れて夜中になったので、しばらくどこか良い場所で休もうと言って、ペオンに焚き火をさせて、野原の道だったがおとなしく寝転んだ馬の暖かいお腹を枕に綺麗な夜空の星を眺めながら少しウトウトした。
 そして、夜明け前にまた馬に乗って早朝サンフアン・ネポムセノ町に着き、開いたばかりの郵便局に駆け込み、早速振興会社アスンシォン支店宛に、『コレコレの事情により調査チームはジープの事故でドコソコのエスタンシア(牧場)で全員無事避難中。報告の要あり、瀬川チームリーダ救出のため明朝至急同エスタンシアへテコテコを差し回されたし』という意味の至急電報を打った。
 この後、しばらく振りのレストランでペオンをねぎらいながら朝食を摂り、必要量のガソリンとエンジン・オイルを調達してペオンの乗馬に載せ、急ぎエスタンシアへ戻った。
 首を長くして待っていた瀬川、田中両技師に支店には問題なく連絡が取れた報告をし、瀬川技師は明日の飛行機を待って帰アし、田中技師は私と共にその後ジープでアスンシォンへ帰る事になった。
 そこで、私は瀬川技師に相談し忠実に働いてくれたペオンをここで帰す事にし、相応の手当を払ってもらった。そして、牧場の管理人にも然るべき謝礼をした。アスンシォンの支店では私の電報に大分驚いたらしく、公使館にも事の次第が伝えられた。
 一方、例の頼んだテコテコの話は支店で午後は顧問として勤めていた大統領府のアグスティーナ・ミランダ女史が、大統領に話したものと見えて、翌朝飛んできたボナンサ単発機の操縦士は、ストロエスネル大統領お気に入りの某空軍少佐だった。