勝ち負け抗争では負け組ばかりが犠牲になったと報じるのは正しいのか

勝組負組関連負傷・殺人事件一覧表

勝組負組関連負傷・殺人事件一覧表

 人気漫画家・小林よしのりの『新戦争論1』(2015年1月)で勝ち負け抗争について書いた章を読み、幾つか疑問を感じた。たとえば勝ち組による溝部事件と脇山事件に続いて《暗殺された者は、記録にあるだけでも23人を数えた》(364頁)と勝ち組だけが殺傷事件を起こしたかのように書く。多くのメディアも同様だ▼でも、この「23人」という数字は『移民80年史』の「勝組負組関連負傷・殺人事件一覧表」(170~1頁)に出たものが独り歩きしてしまった。同移民史は「認識派=被害者」が強調される論調であり、表の負け組側被害者数は47人だ▼でも、その表をキチンと見れば勝ち組被害者も「勝ち組40人余り」「島野ナミデ」ら計47人余り、つまり実は同数挙げられている。これで片方ばかり被害者扱いするのは公正だろうか。後世ならではの冷静な視点と検証が必要ではないか▼この表自体が怪しいと『百年の水流』(12年)で外山脩さんは疑い、《地方で起きた事件の中には、実際はテロを装った私怨による意趣返しではないか――と、地元の消息通から推測されていたケースが幾つかある》(303頁)と記す▼この表には、勝ち組だからという理由でDOPSで拷問された人の数は入っていない。臣道聯盟幹部だったというだけで監獄島に送られ、国外追放令まで出された人は被害者といえないのか―との疑問もわく。負け組を被害者として描こうとする心理自体に、同漫画が批判する《人は信じたい情報(=先入観)しか信じない》《人が知りたくない情報を載せても(メディアは)商売にならない》という心理が、そのまま働いている。(深)