日伯の日系社会が相互支援の時代へ

大泉のブラジリアン・プラザには「ブラジル資料館」が作られる予定(アバンセ・サイトより)

大泉のブラジリアン・プラザには「ブラジル資料館」が作られる予定(アバンセ・サイトより)

 昨年12月24日付朝日新聞が《町の生活保護受給者、外国人が3割超=群馬・大泉》と報道し、ネット上で「ブラジルへ帰れ」との声が上がっていると本紙7面で報じられた▼日本人自体に「中高年フリーター」(35歳以上になっても定職につけない者)が急増して社会問題化している中、多額の税金を失業外国人に使っているとの批判はムリもない▼ブラジルに「生活保護」制度はないし、帰伯してすぐ月10万円(3500レアル)稼げるものは少ないだろう。在日伯人自体は半減したのに、大泉町では減らず、外国人全体はむしろ増えた。一般に「言葉ができない外国人ほどコミュニティを必要とする」から集まる▼金融危機後、在日伯人は帰伯するかどうかの選択を迫られ、日本政府は「支援金」まで用意して帰伯を促進したことは記憶に新しい。半数近くが帰伯を選択したが、「日本の方が良いと選択した者」「ブラジルに帰れない事情がある者」が残った。このうち前者は日本社会への順応度は高いだろうが、問題は後者だ。もともと伯国で満足な仕事に就けなかったものが訪日就労したし、伯国に戻っても、移民の子孫ゆえに頼れる親類縁者も多くない▼訪日就労者本人も、家族を養うために単身で訪日したが、寂しさのあまり日本で愛人を作って帰るに帰れなくなったものも多いと聞く。訪日中にブラジルの親族といさかいを起こし、縁を切った人もいる。彼らは孤立無援のまま日本で高齢化するしかない▼とはいえ、ブラジルに来た日本移民が作った最初の〃日本人街〃コンデも、「移民会社の契約と実際が違う」とコーヒー耕地を夜逃げした者の集まりだった。でも移民はコミュニティを互助組織として育て上げ、自力で福祉団体や病院を作り、日本語学校を作り、文化協会、老人クラブなどを組織してきた。この一連の互助活動にコミュニティは決定的な役割を果たした▼在日ブラジル人社会には強力なコミュニティ組織がないことは以前から指摘されている。これは、時給が10円でも高い仕事があれば引っ越しをする派遣労働者が多く、賃金が安い直接雇用に満足して一カ所に定住する者が少ないことが背景にある。日本人ですら終身雇用でなくなる流れの中で、外国人労働者はその露払いのように90年代から〃雇用の調整弁〃として扱われていた▼大泉には金融危機以前、リーダー的人物がけっこういた。自営業者が多く、同危機で自分の会社が立ち行かなくなり帰伯してしまった。その結果、特に危機後に求心力がなくなったようだ▼そんな大泉にNPO交流ネットが「ブラジル資料館」を作る話が持ち上がっているのは歓迎すべきことだ。再び求心力を与える「再生拠点」となり、互助組織に育ってほしい。ブラジル側の日系団体、例えば援協などもそれに支援してもいい。まずはJICAと協力して在日日系社会の実態調査をし、どんな支援をすべきかを見極めたらどうか▼日本で「日系人」「ブラジル人」の印象が悪くなれば、それは当地日系社会にも跳ね返る。これからは日伯の日系社会が相互支援する時代ではないか。(深)