ドナ・マルガリーダ=聖人申請に強力な助っ人登場=2列聖実現したセリア修道女=没後20年ミサ、協会設立へ

 老人ホーム「憩の園」の創立者、渡辺トミ・マルガリーダ女史(通称=ドナ・マルガリーダ)をローマ法王庁に聖人申請する動きに強力な助っ人が現れた。それはイマクラーダ・コンセイソン修道会のセリア・カドリン女史(89)で、ブラジル生まれでは初の聖人フレイ・ガルボン(1739―1822)や、ブラジル初の女性聖人マドレ・パウリ―ナ(1865―1942)の申請を実現させた実力者だ。ブラジルの聖人は4人しかおらず、半分は彼女の手によるもの。23日に聖人申請の助言をもらいに行った一行に対し、「十分可能性がある」と強く後押しした。

 セリア修道女は3年の間に2回も脳血管障害(AVC)を発症し、現在はサンパウロ州ブラガンサ・パウリスタ市の同修道会老人ホーム「サンルイス」に入居する。ドナ・マルガリーダと面識があるかと尋ねると、「もちろん。60年代、ローマに行く前ね。とても信仰心が深い品のある人だった」と懐かしそうな表情を浮かべた。58年に「憩の園」が創立された時、ドナ・マルガリーダの依頼で同修道会が入園者の世話をしていた。
 セリア修道女は1927年1月にサンタカタリーナ州ノーヴァ・トレント市で、南チロル地方出身の両親から生まれた。40年に同修道会に入ってラテン語、伊語、仏語、西語での読み書きを修め、ローマ法王庁に23年間も派遣され、列聖申請の詳細を体得した。
 コンセイソン修道会の創立者、パウリーナ列聖申請を進めている間に、時のエヴァリスト・アルンス大司教にガルボン修道士の申請を手伝う様に頼まれた。パウリーナ修道女は91年に福者、02年に聖人に認められた。ガルボン修道士も97年に福者、07年に聖人になった。
 ドマ・マルガリーダの列聖申請を進める奥原マリオさんは4回ほどセリア修道女に会っており、大戦中に日本移民がサントス強制立退きを命じられ、ドナ・マルガリーダが支援した話などを説明し、前山隆著『ドナ・マルガリーダ』ポ語版を渡していた。セリア女史はその本を読み込み、申請の際に強調すべき点を書き込んだものを奥原さんに渡し、「十分に可能性があるから協会を早く作って運動を進めなさい」と段取りを説明した。
 ドナ・マルガリーダが創立した聖母婦人会の畑中アリッセ元会長は、「没後20年の命日3月13日午前8時からサンゴンサーロ教会で記念ミサをやります」とのべ、奥原さんもそれを機に申請を進めるための協会を設立する打ち合わせをした。
 87年から14年まで「憩の園」で世話をした「イエスのカリタス修道女会」の白澤康子ノトブルガ修道女も、「私たちの会が憩の園に入る前は、コンセイソン修道女会が世話をしていてくれ、丁寧に我々に引き継ぎをしてくれた。ドナ・マルガリーダとは縁が深い会。皆で協力します」と笑顔を浮かべた。

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 聖人マドレ・パウリーナの出身地は、オーストリア・ハンガリー帝国内だが、住民の大半がイタリア人だった南チロル地方(現トレンティーノ)だ。19世紀後半、戦乱と飢饉に襲われ、大量の農民がブラジルに移住した。熱心なカトリック信徒が多く、サンタカタリーナ州に移住地を作って集住し、そこに出身地の州都名トレントからとって「ノーヴァ・トレント」と命名した。パウリーナ女史が創立した修道女会にセリア修道女が入会し、聖人申請した。「法王庁に務めている頃、たまに帰伯した時に東洋街でお煎餅をブラジル土産に買い、法王や大司教に持って行ったわ。珍しい、美味しいって喜んで食べていたわ」と懐かしむ。「東洋街とバチカン」をつなぐ意外なイタリア移民繋がりだ。