「ある日曜日」(Um Dia de Domingo)=エマヌエル賛徒(Emanuel Santo)=(5)

「何かの書類?」
「ペドロという男の子の出生証明書のコピーです。サンパウロ市の公証役場が発行していますが、オリジナルはどこにあるか分かりません。この子は、3年前にサンパウロ市内の病院で生まれています。母親の欄には『Calorina Santos』という名前がタイプされていて、その下に母親自身のサインと身分証明書の番号が登録されています。父親の欄は空白ですが・・・オリジナルに誰かが『Ken Kimura』と手書きしています。カロリーナ・サントスとケン・キムラというのは誰なのか、妻はなぜこんなものをもっていたか分かりません。彼女は、この書類のことについては何も話しませんでしたから」
「君たちは正式に結婚したわけじゃないから、お互い知らないことがあっても当然だよね?普通の夫婦にも、秘密の一つや二つはあるからね」
「それもそうですが・・・」
「まあいいや。せっかく来たんだし、今日は暇だから、奥さんと結婚することになった経緯や、ここに来るまでの出来事について、じっくり話を聞かせてくれ。警察に言えないことも含めて、全部話してほしいな。うちの会の仲間に頼めば、君が知りたいことが少しは分かるかもしれないよ」
 それにしてもリカルドは、日本国籍をもたない日系三世にしては日本語が上手だ。ブラジルでは家の外であまり日本語は話さないだろうから、きっと家にいる時は両親と日本語でたくさん話をしたに違いない。
 私は経験上、上手な日本語を話す子供がいる日系人の家庭には、必ず温かい家族の絆があることを知っている。

【第3話】

 リカルド田中の実家はブラジルの大都市サンパウロにある。彼の祖父母は戦前日本から来た移民一世で、ブラジル人のコーヒー農園で死に物狂いに働いて蓄えた金で、戦後サンパウロ市の中心街にあるリベルダージ地区で日本食も扱う小さな食品・雑貨店を始めた。
 勤勉は日本人の美徳と信じていた彼の祖父は、自分たちの家を継がせる長男(すなわちリカルドの父親)と共に、日曜日の午後以外は毎日休みなしで働いた。
「おじいさんの思い出はあまりありませんが、お父さんの話では、典型的な日本人だったそうです。南米にいる日本人や日系人は、自分たち以外の現地人を『外人』と呼んで区別する人が多いですが、おじいさんは、いつも日本人は外人とは違うとか、『日本人として誇りをもって生きろ』とか言っていたそうです。日本人はどの国の人間よりも頭がいいし、働き者だと信じていたようです。日本が戦争に負けた時も、日本人が外人に負けるはずがないと言って、最後まで信じなかったそうです。おじいさんの苦労話を聞くと、確かに当時の日本人はすごかったなあと思います。でも、おじいさんは外人の言葉をあまり覚えなかったので、商売を始めてからは苦労したようです。お父さんはよく通訳をしてあげたそうです」
 時は過ぎて1980年代に入り、ブラジルの経済状況は最悪になったが、店を引き継いでいたリカルドの父親は、日系二世の妻と力を合わせて一生懸命に働いた。
 1970年代の初めに夫婦の一人っ子として生まれたリカルドは、中学生になった頃から店の手伝いをした。リカルドの祖父が始めた小さな店は、家族みんなの協力によって、地域の日系人をお得意さんとする中規模なスーパーに成長していった。