コロニアで軍歌が愛唱される理由

『軍歌・時局歌・唱歌・流行歌集』の表紙

『軍歌・時局歌・唱歌・流行歌集』の表紙

 昨年8月、とある戦前移民の7回忌に出席した。サンパウロ市南西部の庶民地区にある自宅で、出席者は家族5人ほどの実にひっそりとした法事だった。今では読む人もいないのだろう。居間には故人の本棚がそのまま。『平家物語』など古めかしい日本語書籍がずらりと並んでいた。手書きの小冊子があったので、何気なく手に取ってみたら、歌詞をまとめた手作りの本だった▼『軍歌・時局歌・唱歌・流行歌集』と表紙にあり、約120曲が218頁に渡って、几帳面な万年筆の字で書かれている。ところどころに色鉛筆で美しい女性のイラストも描かれていた。背表紙は糸でくくってあり、紙はすっかり擦り切れて、愛唱されて来たことが一目で伺えた▼一頁目から「君が代」「金剛石」「四方拝」「紀元節」「天長節」「明治節」。昭憲皇太后(明治天皇のお后)が作詞された《金剛石もみがかずば、玉の光は添わざらん、人も学びて後にこそ、まことの徳は現るれ》などは、実に時代の雰囲気をかもし出している。その後、軍歌・時局歌編となり、「肉弾三勇士」「愛国行進曲」などが並ぶ▼「夫人愛国の歌」「婦人従軍歌」など女性向けの軍歌もかなりある。息子さんから「母親がこれを作った」と聞き、これで夫婦仲良く愛唱したのだと思った。夫婦で過ごす愛しい濃密な時間――それが軍歌なのだと、戦前移民の頭の中を垣間見せられた想いだった▼以前、なぜ移民は軍歌が好きなのか?―と尋ねて回ったことがある。その時、もっとも納得したのは「戦前移民が入植した頃、植民地に電気はなく、ラジオもレコードもない生活。単調な重労働の農作業を繰り返す毎日で、唯一の楽しみが夕食後の家族団らんで歌う軍歌とか童謡だった。だから一番懐かしい」としみじみ語る人の話だった。ああ、こうやって軍歌は子供移民の心に沁み込んだのかと腑に落ちた▼件の手作り歌集の作者は蒸野良子。1946年4~6月に起きた勝ち負け抗争の襲撃事件決起者の一人、蒸野太郎の妻だ。歌集の表紙を良く見ると「昭和21年1月作」とあるから、なんと1946年1月! おそらく辛い戦中を乗り越え、生活の潤いだった愛唱歌の集大成として小冊子を作った。そして、その3カ月後、夫は襲撃事件に向かった――▼7周忌の折り、位牌を見ると太郎の命日は2009年8月7日、良子は同年9月27日。わずか1カ月あまりの差、連れ添う様にあの世に旅立ったことに気付き、思わず目が潤んだ。若さと勢いで思い切った行動をとり、自首して刑罰を受けたとはいえ、本人も傷心を抱えていた。そんな伴侶を心から愛し、受け入れ、支えて生きてきた生涯だったと察した。このような女性の働きがコロニア史を支えている▼80年代以来、一番盛んな日系活動はカラオケだ。ゲートボールも盛んだが、高齢者が中心。カラオケは二、三世まで積極的に参加するという意味で、今後100年経っても続いている可能性がある▼そんなカラオケ界から昨年10月、日系家族に育てられた非日系ブラジル人が日本でデビューを飾った。エドアルドだ。早々に一流歌手に混じってNHK歌謡ショーにも出演し、将来を嘱望されている▼今はブラジル人が日本人の心を歌う時代になった。この週末、文協で彼の歌を直接聞くのが楽しみだ。日本デビューを飾った日系人は何人もいるが、紅白歌合戦に出場したのは1990年のマルシアだけ。今年は五輪の年だけに、リオから東京への橋渡しとして、エドゥに紅白出場してほしいものだ。(敬称略、深)