県連故郷巡り(北東伯編)=歴史の玉手箱=第2回=『8人の侍』謎の一人後日談

フォルタレーザ市内の一等地にある「藤田十作日本庭園」。立派な鳥居が存在感を放つ

フォルタレーザ市内の一等地にある「藤田十作日本庭園」。立派な鳥居が存在感を放つ

 11日午前中に一行は、フォルタレーザ市内の高級別荘地が立ち並ぶメイレーレス海岸にある「藤田十作日本庭園」を観光した。鳥居やスズラン灯、滝のある日本庭園も造られ、一等地にある立派な公園だ。プレートを見ると、観光省から予算をもらって、移民百周年を記念して建設したものだ。
 当時の記事を読んでみると、08年にセアラ―州日伯文化協会(藤田ジョアン会長)が構想を打ち出し、1900平米の土地を市が提供し、観光省がなんと約200万レアルの大枚を投じて建設し、11年4月11日に完工式を行った。
 庭園奥の部分には4本の柱があり「訓育」「我慢」「決心」「苦心」「献身」「根気」などの古風な言葉が鋳抜かれている。藤田十作とは一体、どんな人物だったのだろう。

川上さん

川上さん

 午後は、真っ白な砂浜が広がるモーロ・ブランコに行き、バギーや散歩を楽しんだ。バギーでは巨大な風車の様な風力発電施設が立ち並ぶ様子や、洞窟、海岸にある淡水池などにも足を延ばした。川上三枝子さん(74、二世)は「バギーの後ろで風に吹かれて、とても気持ち良かった」と喜んだ。

南米産業開発青年隊の4期の曽我さん、9期の千田さん、8期の小山さん

南米産業開発青年隊の4期の曽我さん、9期の千田さん、8期の小山さん

 ホテルに戻ると、故郷巡りらしい劇的な出会いが待っていた。午後5時過ぎ、ロビーで一人ソワソワしている小山徳さん(のぼる、76、長野)に、なにげなく声をかけると、「千田功(ちだいさお)って知ってるでしょ。君が昔書いたイタイプーダム建設で活躍した青年隊の連載『国家事業救った8人の侍』の一人だよ。先日、連絡先がようやくわかった。偶然このホテルから4キロ先の所に住んでいるから、会いにくるっていうんで、待ってるんだよ」というので驚いた。
 小山さんは南米産業開発青年隊の8期。千田さんは9期でイタイプー工事の後、青年隊とは連絡を断った状態になっており、小山さんは「彼はアフリカに行ったとか、スイスに行ったとかの噂で、全然連絡が取れなかった」という。「ウマラーマ訓練所以来だから50年ぶり。僕が日本語でメールを書いても、ポルトガル語で返事を書いてくるんだ。どんな生活をしているのかと思って…」という。
 ほどなく、さっぱりした表情のスマートな男性が回転扉を回して入って来た。「千田か!」「小山さんか」と二人は顔を見合わせ、固く握手を交わした。そこへ偶然にも一行の一人で青年隊4期の曽我義成さん(78、岐阜)も通りかかり、事情を聴いて驚き、一緒にテーブルに座って、千田さんのイタイプー後日談を聞いた。
 「サダム・フセイン時代のイラクに、メンデス・ジュニオール(大手建設会社)から派遣されて2年間、ペトロブラスの仕事で行ったよ。ユーフラテス川の下に地下用水路を作って、チグリス川の水を流す大規模な灌漑設備を作る仕事だった。でも、たまたま休暇でブラジルに帰って来た時、湾岸戦争が勃発したんだ。フセインは『外国人を人質にする』って宣言し、あの時、現場に残っていた仲間はみんな捕まった」。平和な北東伯の海岸に立つホテルのロビーで、衝撃の体験談が始まった。(つづく、深沢正雪記者)