県連故郷巡り(北東伯編)=歴史の玉手箱=第13回=帰国手続き詐欺の被害者

中村伯毅さん

中村伯毅さん

 中村伯毅さん(ひろき)の話は、終戦直後に起きた「帰国手続き詐欺」だ。土地証書など一式をブラジル政府に預ければ、日本への帰国船の手続きをしてくれるというもので、その手続き料、必要経費などと称して毎月のように金をせびりとられた。
 中村さんの両親は1929年渡伯でバストスに入植し、そこで伯毅さんが1934年9月に生まれた。10年間そこでいたが、戦争中にロンドリーナ市内から7キロの所に移り、コーヒー農園50アルケールを始めた。「日本人ばっかりすんどるルア(通り)があって、そこでは戦争中でも日本語しゃべっても何にも問題なかった」という。
 「堀澤さんは東大卒の農業技師という触れ込みで、父は『彼が書類を作ってくれる。信用していれば、すぐに日本に帰れる』と大そう信用していた。土地財産再登録詐欺というんでしょうか。周囲の100家族ぐらいが彼に手続き代行のお願いをしていた」。中村さんの父は「覺」(さとる)と言い、福岡県八女郡出身、1965年頃亡くなったという。
 帰国手続き詐欺の件は、あまり記録が残っていない。この機会にしっかり残そうと気合を入れて中村さんの話に耳を傾けた。
 1945年末頃、「ブラジル政府が法令で、外国人移民が所有地を政府に提供したら、本国に送り返す手続きをしてくれる」という噂が流れた。「子供の頃の記憶だけど、堀澤さんが言ったことをはっきり覚えているよ。ミズーリ船上の終戦の調印式の写真を見せて、日本軍人は帯刀しているのに、米国人は丸腰。だから『日本は勝っている』と説明していた」。
 思春期の頃の話だが、記憶は鮮明だ。「堀澤は普段、サンパウロにいて、1カ月に1回ぐらいやってきては報告し、お金を持って行った。でも、1年、2年と経つうちに、だんだん騙されていると気付き、辞めて行く人が多かった。数年で半分ぐらいに。でもうちの父はうまく丸め込まれて信じていた」と悔しそうにいう。
 当時、日本は勝ったはずと思いこんだ人は多かった。「戦争中、父は薄荷をやって大分儲けたが、それも全部、彼に盗られた。手続きのためといって、彼はリオやサンパウロに頻繁に行き来し、『すぐ帰れる』と父は騙されて続けて、一年間の収穫を全部とられたことも度々。そんなことが20年間も続いたんですよ。同じく騙された人の中には、サンパウロに出て桜組挺身隊に加わった人もいました」という一節から、桜組との関連が疑われる。
 1954年12月14日付パウリスタ新聞(パ紙)は連載《桜組挺身隊を探る2》の中に、こんな一節がある。《天野、吉谷らの首謀者「ロンドリーナ時代」は相当生活にも困窮していたといわれるにも関わらず、サントアンドレではハデな生活を営んでいた~》。つまり桜組挺身隊の首謀者、天野恒雄、吉谷(よしがい)光夫はロンドリーナに住んでいた。55年1月28日付パ紙には、吉谷のことを挺身隊の〝隊長〟と書き、《精神分裂症の兆候》と書いている。
 さらに同連載には、《彼らは一斉検挙の際に、当局が押収した「献金簿」に十月中だけで四百三十余コントに達していたとの報道はあくまで一笑に付し、その百分の一でも今あれば大助かりだとうそぶく、その反面では「今まで各方面へ送った願書の翻訳料や請願のため代表を派遣した費用は相当に上る、殆どは人件費」だと言い金を費つたことだけは肯定する》という。
 何気ない昼飯時に、壮絶な移民の歴史が語られるのは、まさに移民の故郷巡りの真骨頂だ。(つづく、深沢正雪記者)