ブラジル世界救世教=初の非日系本部長が就任=慶応大卒のレゼンデさん=充実の人材育成制度で成果=世界布教戦略の一大拠点

 世界200万信者の内50万人がブラジルの信者で、かつ99パーセント以上が非日系人という世界救世教。昨年10月、そのブラジル本部長に非日系人のマルコ・アントニオ・バペチスタ・レゼンデさん(60)が就任した。当地に数ある日系教団の中で、非日系人がトップに就くのは極めて稀なケースだ。

 マルコさんはリオ市北部イーリャ・ド・ゴヴェルナドール区生まれ。元々はカトリック信者で教会に通っていた。世界救世教との出会いは16歳の頃、父親がひどい胃潰瘍に苦しみ、エスピリチズモ(心霊療法)など色々な所に通ったが良くならなかった。
 そんな時、信者であった親戚から浄霊をすすめられ、半信半疑で行ってみると2~3回で回復した。その父親は87歳の今も健在だという。「最初は良く分からない日本の宗教という抵抗があった。でも父が治ったことで浄霊に興味を持った」と語る。自分も勉強してみたいと入信し、リオ市セントロまで通って熱心に学んだ。
 世界救世教の創立は1935年で、当地での布教開始は1955年。最初の役員は一世ばかりだった。前総務部長の大野正人さん(まさひと、69、香川県)は「将来は現地の人が教団を担うべきもの。そのためには日本の文化や歴史を良く知り、両国の架け橋となる人材を育成したいと考えた当時の本部長が71年から日本での研修制度を導入した」と説明した。
 この研修制度は、教区長の推薦を受けた優秀な非日系の青年から試験や面接などで毎年約10人が選考され、1、2年間日本で勉強するというもの。熱海の聖地で教えを勉強し、その後は地方を回っての実践となる。この制度は現在まで45年間続いており、計450人もが日本で学んでいる。
 マルコさんは4期生で、21歳の時に日本へ渡り、2年間勉強した。いったん帰伯したが2年後に大学で勉強するために再訪日し、関西学友会(予備校)に1年通った。84年に慶応大学文学部哲学系倫理学専攻に無事入学。卒業後も日本に滞在、国際部に所属して世界90カ国をかけまわり、国際部長までつとめた。その間、日本人女性と結婚した。
 マルコさんは大学留学組の1期生。以降、多くの青年が日本の大学へ通い、ブラジルに戻った後、その経験を活かし、本部の要職を担って活躍している。充実した人材育成システムが同教団の強みだ。
 同教団はブラジルが移民大国である点に着目し、各国の移民子孫が受け継いできた母国語を活かした教師育成をしている。例えばドイツ系移住地ジョインビレで育った子孫をドイツに派遣し、欧州各地に送り込む。ポ語圏諸国のアフリカにも教師を送り込み、すでに8万人もの信者がいる。ブラジルは世界戦略の最重要拠点の一つだ。
 そんな重責を担うマルコさん。「一世ら開拓者の気持ちを受け継ぎ、大きくしていきたい。教えるよりも一緒に実践したい」と就任以来、地方の浄霊所を巡り、信者との触れ合いに励んでいる。
 大野さんは「宗教に限らず企業や団体の要職は〃えらい人〃になりがちだが、宗教のトップは〃ありがたい人〃を目指すべきだ。マルコは適任」と目を細めた。

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 世界救世教のレゼンデ本部長は「慶応大学の勉強は本当に大変でした。その厳しさに学んだ」と振り返る。でも息抜きもしっかり。「趣味はカラオケ」で堀内孝雄や松田聖子の曲が好きだとか。日本でレゼンデさんの同僚がバーで飲み過ぎて吐いて気を失った時、彼はテーブルの吐しゃ物を掃除し、自宅まで送り届けて朝まで介抱するという面倒見のよさを見せたと、大野さんは人柄に感心。
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 レゼンデ本部長は今年3月の『月次祭』では壇上から講話を行った後、こっそりエプロン姿で弁当販売に加わり、気付いた一般信者から「本部長が!」と驚く場面もあったとの話も周囲から聞いた。一般信者と同じ目線で寄り添う姿勢が徹底している。来月1日には同教団の世界トップ、小林昌義理事長を迎え、聖地グァラピランガで2万人が参拝する『月次祭』が行われる予定。さすがにエプロン姿での活躍は今回は無理かも。