県連故郷巡り(北東伯編)=歴史の玉手箱=第14回=堀沢を殺しに行くと決意

無料帰国詐欺の一件を報じる「ブラジル中外新聞」1953年9月14日付(移民史料館蔵)

無料帰国詐欺の一件を報じる「ブラジル中外新聞」1953年9月14日付(移民史料館蔵)

 終戦後、数年が経ち、中村伯毅さんは子供心に「何かおかしい」と思い始め、父を問い詰めた。「僕は何回も『お父さんは騙されている。もう止めてくれ』と考え直すように、お願いしたが、父は聞いてくれなかった。僕がそんなことをいうと、父は母をイジメた。母はどちらの見方も、家を出ることもできない。辛かったろうと思う」
 当時、中村さんは日頃の憂さを晴らすように柔道の練習に打ち込んでいた。「パラナ大会でも優勝し、全伯大会にも出たことがあった。2段だった」という。
 そんなころ、決定的な父の一言が放たれた。「兄は6歳年上で日本生まれ、1歳でブラジルに来た。僕はバストス生まれでしょ。それで、ある時、父は僕に『オマエは敵国人だ』と言ったんです。堀沢に騙されていたんでしょ。子供心に本当にショックでした」。
 堀沢憎さのあまり、「15、6歳の頃でしょうか。彼はDOPSに追われて、サントアマーロに隠れているという話を聞き、『そこまで堀沢を殺しに行こう』と決心したことまでありましたよ」と血気盛んだった遠い昔を思い出す。もちろん、決行はしなかった。
 この「堀沢」という名前は従来の移民史にも新聞にもほとんど出てこない。いろいろ探してみると、ロンドリーナの重鎮が書いた『信ちゃんの昔話第8部、戦争と移民』(沼田信一著)に、若干の記述があった。《ロンドリーナ地方には堀沢某、川崎某、馬の目某、等々の分子が、勝組として相当長くうごめいていた様であった。従って勝ち組にだまされていた人達は、人生の相当長い間を無駄にしたのであった》(電子版70頁)。やはり、存在したようだが、フルネームが分からない。
 ノンフィクション風に書かれた小説『大日本国民前衛隊、思想戦回顧録・前記』(1945年、多田幸一)にも、《斯かる情勢下にある聖州を遠方の火事視してパラナ方面には其の頃、堀澤なる者の手に依って盛んに帰国手続きが始まって居る事が聞こえて来たものであった》という部分がある。でも名字だけだ。
 ニッケイ新聞の過去記事データベースでもネット検索でも、この名前はひっかからない。この詐欺師は、どうも謎の多い人物のようだ。
 54年12月21日付パ紙「挺身隊を解散」記事で、ようやくそれらしい名前が出てきた。桜組挺身隊が〃同志〃としている《加盟者は一四七家族、一〇二五名(妻子を含める)であるが、、中には加藤、川崎事件に関連するもの、堀川文蔵の例の土地白紙委任状問題に関連しているものあり、思想的にはまったく統一をかき、貧困者の寄り世帯である》と書かれている。定かではないが、おそらくここに出てくる「堀川文蔵」が「堀沢」ではないか。
 中村伯毅さんは男兄弟5人、女2人だった。「僕らが頑張って働くから、一番下の弟だけは大学にやらせてくれって、父のお願いした。だけど堀沢は『ブラジルの学校なんか行くことない』って反対したんだ。家族にポルトガル語が分かるのが出れば、自分が言っていることがウソだとばれるから困ったんでしょ」。(つづく、深沢正雪記者)