県連故郷巡り(北東伯編)=歴史の玉手箱=第22回=米空軍基地あったナタル

 3月15日午前、一行は最後の目的地、北大河州の州都ナタルに向けて出発した。市内観光の時、地元ガイドが戦中の興味深い歴史を語った。
 第2次世界大戦でブラジルは連合軍に入り、ヴァルガス政権はこの町に米空軍基地を作ることを許した。世界地図を見たら一目瞭然だが、大西洋を渡るのに一番距離が短いのは、ナタルからリベリアで3千キロ程度しかない。これがニューヨークからロンドンなら5600キロだ。
 歴史サイト(guiadoestudante.abril.com.br/aventuras-historia)を見ると、同基地には約1万人の米兵が常駐し、毎日800回もの離着陸が繰り返された。その後、大西洋を越えてセネガル、トーゴー、リベリア、さらに欧州にまで爆撃に向かった。
 つまり、アフリカ方面ににらみを利かす要衝基地として、最も大西洋に突き出たこの地域は絶好の場所だった。当時の主力爆撃機B―17などは航続距離が5千キロと短く、米国南部マイアミを出発した後、ポルト・リッコ、トニダード、ベレン・ド・パラーを経由して、ようやくナタル郊外の「パルナミリン・フィールド」基地に着く有様だった。
 その結果、たくさんの米軍兵士が駐留し、売春宿が大繁盛したという。彼らが休暇を楽しんだ海岸(地元ではプライア・アレイア・プレッタ)が、米国人の中では「プライア・マイアミ」と有名になった。米兵が地元住民を呼んで一緒にフェスタを度々開催した時、告知ビラには「For All」(全員のために)と必ず書かれていた。そのため、そこで演奏される米国音楽から影響を受けたダンス音楽が生まれ、ポ語式に訛って「フォホー」となって今に伝わっている。
 そんな経緯から、ブラジルで最初にコカ・コーラの工場ができたのもナタルだという。北東伯は米軍にとって世界戦略の一大拠点だった。

 そんなに米軍の影響が強い町ナタルから北西に400キロあまりの隣の州都フォルタレーザに、ただ一人の住んでいた日本人が藤田十作だった訳だ。彼の家族が地元住民によって略奪を受けたのは、米軍基地という無言の圧力があったことも背景にあったに違いない。
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青木イサシ会長

青木イサシ会長

W杯で高円宮妃が来られた時の歓迎の様子

W杯で高円宮妃が来られた時の歓迎の様子

 3月15日の夜7時半、州都ナタルで日系人が所有する多目的施設「エスパッソ・ギンザ」で親睦会が開かれた。北大河州日伯文化協会(ACNB)の青木イサシ・ミウトン会長(72、二世)に話を聞くと、サッカーW杯(14年)の高円宮妃ご来伯時もこの会場で歓迎会をした。「とてもシンパチカ(親しみやすい)で開放的な雰囲気の方だった。生まれて初めて皇室の方と握手をした。一生忘れない」と思い出す。

 青木会長はサンパウロ州ノロエステ沿線、アラサツーバ近くのブラウナ市出身だ。ノロエステ線で「青木家」と聞き、隠れキリシタンの里として有名な福岡県大刀洗今村出身者の子孫だとピンときた。故平田ジョン進下議の出た「平田家」に加え、「青木家」は隠れキリシタンの家系の双璧だ。サンパウロ市にもたくさんいる青木一族が、北東伯にも広がっている。(つづく、深沢正雪記者)