自伝小説=月のかけら=筑紫 橘郎=(13)

 楽しい時間は早いもの、何と午前様とあいなった。一同休ませて頂く事にした。新コチア青年二人はかなり「ご銘亭」。ベットに横になったかと思ったら、二人で高いびき。朝までぐっすり。パトロンの計らいで朝寝が出来た。
 もう十一時である。岩下氏の子供から「昼食(アルモッサ)だよ」と声がかかった。ブラジルの農家の昼食は十一時頃が普通のようである。昨夜の飲みすぎで、余り欲しくは無かったが、白いご飯ときゅうりの漬物、大根葉の御味噌汁。「やはり、日本人だなぁー」と嬉しくなった。
 まことに嬉しいご家庭に配耕になり、まずは一安心。昼食をすまして、しばし、完二おじさんが来た。先程パトロンの岩下さんから千年、野口君二人に、「午後から完二さんが来て、家の仕事の事を説明する。私(パトロン与一さん)は色々あって、仕事の手順は完二さんが責任を持って進めているので、彼の指図に従ってくれ」との話を受けたばかりであった。
 そこで完二伯父さんについて、畑をひと廻りして来た。一周りでも、広大な畑は半日がかりなのである。完二伯父さんの娘二人は既にトマト畑の中で働いていた。
 トマト畑はかなり広い。約十五万株あるとか。さすがに広い急傾斜のため、機械化が出来ない。全て手作業らしい。その上、雨季。着伯以来、毎日の雨天である。トマト農家には、この雨は余り良くないとか。「べト病なる病原体」が蔓延すれば致命的被害となる。だから毎日消毒作業が欠かせない。雨天の日でも消毒液に点着剤を使用する事となる。
 若者二人(千年と野口)は毎日、噴霧器担いで「ギッコ、ギッコ」と頭から足の先まで消毒液でずぶ濡れの毎日になる。
 四月になり、ようやく涼しくなり、爽やかな秋晴れの日が続く。トマテもすくすくと成長。ぼつぼつ出荷の時期が近付いた。農作業の合間には、トマテ出荷用の箱の組み立て作業が夜なべ仕事である。一日平均二百箱から多い時には三百箱になる。
 週に三日、コチア組合のトラックが朝五時頃に集荷に来る。箱詰めしたトマテ箱をそれに積み込み、送り出すのは、若い青年二人の日課となっていた。
 日によっては、二十時間の重労働は当たり前。しかし当時の若者は、世の諸般の事情もあり、農家としては至極当たり前と納得。自分たちで手塩に掛けた農産物なのだ。むしろ、喜びと充実感の方が大きかったのであろう。青年達は、はつらつとして誇らしげに笑みを見せていた。そんなある日、明日は久しぶりの日曜日、今日の内に片付けたい仕事をと思い、トマテ畑に行った。
 もう畑では完二伯父さんの娘二人は働いていた。玲子、愛子さんの二人である。そっちの方へ行こうとして、ふと爽やかな鈴の音がした。何気なく足元を見て腰が抜けんばかりに驚いた。
 千年君、一瞬顔色が真っ青になった。何と鈴の音色の主は、猛毒を持つ「ジャララッカ」ではないか。毒蛇だ。菱形の頭をもたげて今にも飛び掛からんばかりの態勢ではないか。
 大声をあげて飛び下がった。その声を聞いた玲子さんが飛んで来た。後ろから愛子さんも覗きに来た。
 が、驚いたのは太郎君。愛子さんは驚く風もなく、近くのトマテの杖を曳き抜くや、見事な「電光石火」の身のこなし。毒蛇の頭に一撃。頭を押さえ、その頭を素手で掴んで振り回したかと思いきや、眼にも止まらぬ速さで道端の大木に叩きつけた。