ニッケイ歌壇(514)=上妻博彦 選

      サンパウロ      梅崎 嘉明

九州の地震たえぬを憂う吾に孫は「日本沈没するよ」
日本の地下は空洞なのだよとまことしやかな孫の言説
よそ国のこととて風説ほしいまま広がりて孫の言説自在
小説に「日本沈没」なりしこと思い出しつつうべないて聞く
いますぐに沈没はなし将来のことは気にせず今日を生きよう

「評」感傷に流れない写実が淡々としている。

      サンパウロ      武地 志津

学友と初訪日の女の孫の邦語解(げ)せねば気がかりに居る
亡き父母の遺影携え訪日を果たす混血女孫は年ごろ
旅の間を英語で不自由なかりしと帰聖は独りで戻りし女孫
駆け足の旅を戻りて女の孫の日本の長所ぽつぽつ語る
抹茶入り富士を象(かたど)る〝ミニ・チョコ〟は混血女孫の訪日土産

「評」目に入れても痛くないほどの女孫さんの初訪日、ましては年頃のハーフ、気を揉む祖母の思いが伝わる。「遺影まで」携えさせている。心配をよそに、今頃の子供は、英語で不自なかったと、安堵と満悦のおばあちゃんの姿があふれる四、五首。

      サンパウロ      相部 聖花

イッペ咲くしばらくぶりの並木道にもう季節かと仰ぎ見るなり
シンピジウム十一年目の花開く孫生まれし日の記念の鉢に
見映えせぬ窓辺におきしカニサボテン五月花なり蕾吹き出す
『持ちましょうか』声掛けくるるに『運動です』と謝して荷運ぶフェイラの帰り
歯の治療日系二世の医師なれば治療終りて人世論出づ

「評」束の間捉えた事象、物象を、さりげなく三十一文字に据える静謐な詠みぶり。現代表記でも「いず」は「いづ」、「出ず」は「でず」。

      グヮルーリョス    長井エミ子

言の葉をコンコロコンともて遊び西の山々夕焼け始む
我の短歌(うた)読む人のいる幸せは毬となりなむ吾(あ)の身と心
ふる里のがれきの街と化したる日われ異国(とつくに)でぬくぬくとをる
やわらかに雨にむれる冬はあり熱き湯のみをそっとふふみて
諍いは彼と彼女を貝にする垂れ落ちそうな曇天の下

「評」この作品を読んでいると、小生の食わずぎらいの『現代短歌』とはこんな物だよと、教えられる気分になる。

      カンベ        湯山  洋

街住い運動不足を気にしつつ唯ぼんやりと新聞テレビ
吾好きな自然の風を吸いたくて車をいつか田舎に走らす
水の音木々の梢にそよぐ風小鳥の囀り心を癒す
せせらぎの木陰の石に腰下し自分の世界に浸る一時
吾未だ百姓仕事が忘られず田舎住いを恋する日も在る

「評」この羨ましいほどの幸福感。細やかな暮しの中に足りることを知る作者ならではの境地。

      サンパウロ      坂上美代栄

応援団負けは許さじと拳上げ天を突けるは戦闘の如
勝たせたい贔屓チームの声援は怒涛となりて球場揺るがす
天を突く腕に「武士道」の刺青の勝閧上ぐる応援の人
フットボール優勝すれば応援団己が戦いしがに胸を打つ
フットボール贔屓チーム負けたれば監督選手へ手ひどい罵声

「評」応援団も度を過ぎるとこんな風だと言っている。なかには、オーナーの手先もいるという事だろうか。

      サンパウロ      武田 知子

古都の春名所巡りし道すがら椿や桜花見を兼ねし
想い出を辿りて桜見歩きし帰伯の一歩冬めける風
神秘めく〝落とし文〟とて和菓子にも銀座の銘菓ひめやかな味
一国の当主被爆の地に立ちて核廃絶の声も悲痛に
ひと口にピカドンと言はるる死の地獄七十一年生き伸びしかな

「評」『落とし文』なるデリケートな名の銘菓の味を小生など知る由もなく過ぎてしまった。行動範囲の貧しさを思うばかりである。それにしても七十一年前のピカドンに、遭遇しなかった自分を有難く思う。そして投下した国の大統領の「核廃絶」の声の悲痛さを強く感受する、被爆者ならではの四、五首である。

   サンジョゼドスピンニャイス 梶田 きよ

バストスに移りて羽二重織りし頃生き甲斐というものに気付き初めしか
この羽二重は米国に行きパラシュートになると聞きしが真偽のほどは
ブラジルの学校なんかと見くびって行かざりしこと横柄なりしや
日本語の記事読めること楽しくて想像しながらゆっくりと読む
新聞記事読みいて目にする異様な言い自国大統領の正体云々

「評」少女期に、この国に移住し「羽二重」を織る女性の生き甲斐を思ったが、更にそれが交戦国の落下傘にと聞いた時の自己批判。日語の禁止にも会いながらも、今ここに歌を詠み新聞をも読みながら、思索する作者。

      サンパウロ      遠藤  勇

街中の郵便ポスト取り払う市民の生活【たつき】解さぬや市長
杖つきて郵便局はちと遠い歌稿机上に幸便を待つ
取り払い郵便ポストのみならず年寄り憩う広場の椅子も
西日射す街の広場に椅子は無く老いたる人の影一つ無し
市長とは市民を導き守る者老いたる市民いずこに行けとや

「評」どの作品も痛烈な批評。せめて歌詠みは、歌に託すしかないのだ。四首目の「西日射す」「影一つ無し」は胸を打つ。

      東京都        伊集院洋介

リオ五輪聖火の下の競合(きそいあい)輝く瞳汗の美し
リオ五輪聖火の下の競合(きそいあい)人類という名の木の葉っぱ
オリンピック頭(づ)に月桂冠のみ欲いもし敗れてもさわやかならん
オリンピックはルールで競うミニ戦(いくさ)早く美し高くたくまし

「評」日本からの御投稿、混沌とした政情のニュースは世界をかけめぐる。オンリンピックの聖火はすでに移された。この人類の坩堝の国での祭典、前向きに祈る作品に心情が込っている。きっと成功する。

      サンパウロ      武地 志津

被災地の熊本出身〝正代〟に会場から沸く応援手拍子
俄にも顔色変えし白鵬の力任せに〝正代〟突き出す
白鵬の常套手段の取り口に手も足も出ぬ挑戦力士
白鵬のこれ見よがしの行ないに大観衆の悲憤のどよめき
白鵬の余りの態度に吉田アナ其の親方に一言呈す

「評」モンゴルの原野から、日本大相撲に歴史を打ち立てたとも自負する様な、メッセージを聞いた。勝負の世界に賭けた白鵬の、終活の感を受けた。日本の相撲界が見つめているのは、彼のこれから先の動向である、「白鵬の朝青龍を破りたるその唇に『君が代』うごく」。筆者が今、言いたいのは、この事である。

      バウルー       酒井 祥造

人生に最良の年と思い居り齢老いたれど植林の日日
うつそみに迷いなき日々植林に吾亡きあとも樹々は伸びゆく
花に目を止むるも忘れ植林に追われる日々よ春の雨降る
ケイタイを持たぬ吾故思考する時間と読書昼寝も長し
苗の畝鍬に除草の三時間疲れて帰るトラクターの席

「評」急な寒波での植林作業、折角体を大切になさって下さい。汗ばんで帰るトラクターの席での作品、実感となって、筆者にも迫って来て、なつかしい。

      バウルー       小坂 正光

幼なき日吾は馬の絵画くが好きで紙さえあれば画きて在りたき
四つ足を伸ばして息を荒気たる馬は尻尾を上げて勇し
吾が家には黒の中形の雄がいて片キンなれど気性は荒し
十三歳のころには牧より引き出して鞍つけ乗らんと経験をなす
しっかりと手綱引締め間近なるランシャの街道しばし走りぬ

「評」小坂氏の作品は回想の物が多い、その周辺の時代をも感じられて面白い。みだれて判読に手間取った、上下振り替えても見た。御自身の控と照らして、参考にされたい。手足を温めて風邪を引かぬ様にされたい。

      サンパウロ      水野 昌之

認知症の予防講演拝聴し聞いたそばからすぐに忘れる
晩節を全うせよと書にあれどそれは無理だとわが身知りをり
なんとなく私もやがてお迎えが来そうな予感でお寺に入門
高齢者の五人に一人は認知症温かくあれ日系社会よ
黄泉路へのスタート合図を医師告ぐる無情な声の「ご臨終です」

「評」海も山も、達観のまなざしで見つめる作者、全体にゆとりを感じさせる人。「合図を医師告ぐる」して臨場感を。

      サンパウロ      大志田良子

肩ならべ娘と共にウォーキングいつの間にやら十米の差が
雑草といえども各々花を持つ手にとり見ればみな麗しい
ふりむけば消え入りそうな小さき花名前を知らず心に残る
アパートの陽ざしの向きが午前午后変りて鉢の移動もたのし
四月去り五月を迎えカニサボテン蕾ふくらみ開花待ちわぶ

「評」消え入りそうな雑草にも目を向け手に取る作者の、心根が読む者につたわる。おのずと、娘さんとの間は十米にも。五首目の下の句に心のふくらみを感じさせる。