【2016年移民の日特集号】故郷・熊本の地震に想う=「残念無念で言葉が無い」=懐かしい思い出とともに

 4月14日から発生した一連の熊本地震。2回にわたって震度7以上の揺れが起こり、最大避難者数18万人、死者40人以上、余震は1500回を超えた。熊本県史上最も被害の大きい災害となった。これを受けてブラジルでも支援を開始。地震直後に義援金活動を開始した熊本県人会(田呂丸哲次会長)を中心に、あちこちで募金が集められている。また当地で最も数が多い熊本出身者だけに、他県出身者から「身内は大丈夫か」と気遣う声も多い。今回は熊本県にルーツを持つ人々に取材し、親族への安否確認の様子、そして故郷の思い出と被災地を想う気持ちを聞いてみた。

日野幸治さん

日野幸治さん

「毎日NHKを確認した。とにかく安全を確保して、生き抜いてほしい」
日野幸治さん(67、福岡)

 7歳の時に渡伯した日野さんは、父親が熊本市竜田の出身。今回の大地震では、大きな被害を受けた地域だ。地震を知った時のことを聞くと、「やっぱりびっくりしたよ。それからは毎日NHKを確認するようになって」と当時を思い出し、緊張した様子で話した。
 父親の兄弟と従兄弟らが熊本に住んでおり、幸治さんは1994年と2014年に同県を訪れている。印象に残った食べ物を聞くと「馬刺しがとてもおいしかったな」と地元の名物を挙げた。
 震度7級の大きな揺れが複数回襲った今回の地震。一回目に地震が来た後、すぐに電話したところ、熊本市に住む従兄弟は「家の瓦が落ち、頭を怪我した親族もいる」といった。
 「被災者のために何かできないか」と、ブラジルに住む兄とともに熊本県人会へ寄付を贈った。
 「本当にひどい地震だった」と沈痛な表情で語り、「車の中に寝ている人のことを思うと心が痛む。今は辛いだろうが、とにかく身の安全を確保して、生き抜いてほしい」と祈るように語った。

(右)小野さち子さん

(右)小野さち子さん

「もっと支援が広がれば。力を合わせて乗り越えて」
小野さち子さん(63、二世)

 小野さんの両親は、熊本県の菊池地方出身。2014年に初めて熊本を訪れ、「父の妹に会い、父が通った高校にも足を運んだ」という。
 地震を知ったのはインターネット。すぐに日本で耳にしたことを思い出した。「東日本大震災の話になったとき、『あと何年かしたら、また大地震が来るかもしれない』という話を聞いた」と言い、心配そうな表情を見せる。
 菊池には従弟の家があり、今回の熊本地震後に電話をしたところ、「車の中に寝ている」と言われたという。熊本への手助けについて、「田呂丸さんが寄付を募ってくれている。日本も不景気だと聞いているので、もっとこの支援が広がれば」と期待を込めた。
 被災した人々に対して、「辛いことばかりが続くわけではないはず。この困難な時を、みんな力を合わせて乗り越えてくれたら」と真剣な表情で語った。

今村盛幸さん

今村盛幸さん

「家も山も崩れていて、本当に信じられなかった」
今村盛幸さん(73、二世)

 「1995年に先祖のお墓参りに行ったよ」という今村さん。墓地で周りを見渡すと、どのお墓にも「今村家之墓」と書いてあり驚いたという。
 熊本の思い出を聞くと、「ブラジルの柿を持っていったら、その大きさに仰天されたよ」と笑い、「阿蘇を訪れたけど、草原が広がる景色が本当に綺麗だったね。ホンダのオートバイ工場も見学させてもらった」と目を細めた。
 熊本地震のことは県人会の集まりで知り、帰宅してからテレビで確認した。「家も山も崩れていて、本当に信じられなかった」と悲惨さを訴えるように話す。
 被災者への思いをたずねると、「あれほどひどい災害に遭うなんて、本当に可哀想だ。自分たちの家が無くなり、食べ物も服も不足している人がいる」と話し、「高齢の人も被災していて・・・」と声をつまらせた。
 日系人としてできることについて、「田呂丸会長から話があり、すぐ県人会に寄付をさせてもらった」と言い、募金活動がさらに広まることを願った。

田代勇子さん

田代勇子さん

「『がんばって』と言えない。言葉にならないほど無念」
田代勇子さん(71、熊本)

 11歳の時に一家で渡伯した田代さん。母親は熊本地震の震源地に近い大津の人。父の出身地である泗水村で育った少女時代を、「貧乏だけど楽しかった」と回想する。
 近所の川で水泳し、鮒などの魚を取って遊んだ。田んぼでは泥まみれになって泥鰌も捕まえていたという。家業は農家で、「稲刈りの時期は、学校からまっすぐ田畑に手伝いに行った」のだそう。
 2010年に熊本に行き、阿蘇を訪れた。草千里のお土産屋で食事をし、温泉に入ったのは良い思い出だ。
 熊本地震について「元通りにするのに何年かかることか・・・。日本一綺麗と言われた熊本城も、瓦は落ち、石垣も崩れ、無残な姿になってしまった」と嘆いた。
 熊本に住む従兄弟に怪我は無かったが、アパートが傾いてしまい、親族の家に世話になっているという。いつも被災地のことに胸を痛めており、「震災のニュースを見るたびに気ばかりが焦って」と目線を落とした。
 被災者のことを思いやり、「住めないほど家が壊れているのに、補助金をもらえない人がいる。本当に腹が立つ」と憤慨し、「みんな、もうがんばっているから、『がんばって』とは言えない。今回の災害は、本当に残念無念で言葉が無い」と語った。

浜田望さん

浜田望さん

「被災者は辛いと思う。笑顔を取り戻してほしい」
浜田望さん(78、二世)

 八代出身の父母を持つ浜田さん。「故郷には3回行ったよ」と嬉しそうに話してくれた。ブラジルと食べ物の味が違うことを「どれもあっさりしている。使う油も肉も少ない」と説明し、「ブラジルに比べて、子供たちの体が痩せててびっくりしたよ」と豪快に笑った。
 熊本城を見たとき、「どうやって釘を使わずにこの大きな建物が作れたのか、なぜ崩れないのか」と驚いた。親戚に阿蘇山のカルデラに連れていってもらった時は、煙を噴き出す様子に目を丸くしたという。「近くに透き通った水が湧く泉があってね。使っている水がおいしいから米がうまいんだと聞いたよ」と懐かしむ。
 熊本地震のことはブラジルグローボTVのニュースで知った。八代に従兄弟が、多良木地方に叔母が住んでおり、すぐ電話で安否確認をした。「『大丈夫、そんなに揺れなかったから心配しなくていい』と言われたんだ」とほっとした表情で話す。
 「僕の親は熊本出身だし、来訪するたびに親戚に良くしてもらえる。熊本のみんなには元気を出してもらいたい」と話し、「被災者には亡くなった人、家財を失った人もいて、本当に辛いと思う。またやり直して、元の笑顔を取り戻してほしい」と願いを込めた。