ニッケイ歌壇(515)=上妻博彦 選

      グァルーリョス    長井エミ子

あかときの霜置き積もる夏草は冬の来たるを黙して知りぬ
霧深く山家の小径ほの白く棒と化したるバッタのむくろ
人間は面白いかと老犬はプッカリコンと白雲飛ぶ日
明け暮れは十匹越える犬どちとそれも良きかな娘の婚家
おだやかに月日流ると言はねども汝のそびらの柔らかになり

「評」自然人生、感応同交と意識しての作ではない。自ずと湧きいづる言の葉の力である。人の背を直視する眼力を感じる五首目。

      サンパウロ      武地 志津

久々に訪ね来たりし旧友の変わらぬ様子に心安らぐ
亡き娘にと心尽くしの蘭の鉢花好きなりし娘(こ)に絶えぬ花
佛壇に焼香の掌を合わす友なに呟くやじっと動かず
娘の事を思い出させてしみじみと友との語らい日の暮るるまで
その夫と不運に過ぎし旧友の二人の娘(こ)は良き配偶者得し

「評」逆縁の娘につながる交友を蘭の花に托して深めている叙情詩。特に三首目、さらりと詠み下していながら、胸に沁む作。

      サンパウロ      水野 昌之

セコイという非難浴びれど馬耳東風人品いやしい都知事の東京
目にあまる公私混同指摘され釈明出来ずのらりくらりと
海外の高級ホテルで贅尽くし「金持ち日本」の顰蹙を買う
権力の陰で家庭にサービスす外食、宿泊、絵画の購入
辞職せば「死んでも死ねぬ」と固執する恥も外聞もなきかのごとく

「評」東京よお前もか。醜聞に敏感なメディアは、世界をかけめぐる。「いやしい都知事の東京」であって「いやしい東京都知事」ではないのだ、ここに鋭さがあり、人間の目差しを感じる。

      サンパウロ      相部 聖花

年毎に新たに芽吹く蘭の株鉢よりはみ出し株分けを待つ
ラマフォルテと名付く柿食み故郷の熟し柿など懐しむ朝
開け放し鍵なき家に育ちし我開きにくき鍵にしばしば悩む
車椅子必要とする友偲び歩ける我の幸思う日々
テレビにてジュニナ祭見る吾娘(あこ)にドレス縫いしこと思い出しおり

「評」すでに娘も成人してその子達を、ジュニナ祭に見ているのかも知れない。作者は、吾娘のためにジュニナのドレスを縫った遠い日を回想するのだろう。時の流れと季節感を詠み込んで、郷愁をもただよわせる作品。

      バウルー       酒井 祥造

整理などすることもなき老の日々我なきあとは焼き捨てて良し
体重は六十五キロ減食の体調は良し果して続くか
日常の生活に不自由なけれども仕事に体力のおとろえを知る
来年は卆寿なれども植林になお十年とひそかに願う
澄む夜空見ることもなきポルイソン中都市なれど星空かすむ

「評」地方都市にも文明の弊害が現れはじめたと嘆いている。だからこそ九十歳にして、まだ十年は植林をと願う野の聖者。「我なきあとは焼き捨てて良し」と読破した書。

      ソロカバ       新島  新

二ヶ月ぶりに来たりしパルケごろりんとまた一つ増ゆ我がモニュメント
冬枯れの園に数本常緑樹中の一樹は泣き虫の木よ
スポーツの中継番組大好きでテレビの画面に時を忘れる
活字の太き本を持ちバスの座席にて開いて見れどこうも揺れては
婆さんのロープに吊るしたブラジャーが風に嬲られぷうらぷら嗚呼

「評」飄然とした心象風景を描いて見せる氏の邪気のなさには、天分さえを感じさせられる。

      サンパウロ      坂上美代栄

雨降りの朝市とんと人出なし捌けぬ品を気遣いて見る
贅沢をさせず育てし子、孫達は倹約の箍緩みしままに
奔放に言いたる後を悔いている自ずからなるさがと思えど
立ち止まり己が歩みし道みるに今も昔も流れのままに
カラオケや旅行嫌いは年毎に行動範囲の狭まりてゆく

「評」自己批判に作品を向けたこころみも進歩と言える。三首目、参考までに、少し添削して見た。二、四首の穏やかさを勧める。

      カンベ        湯山  洋

懐かしき子供の頃の流行歌目尻を濡らし一人聞く夜
空腹に学校帰りのラジオから堪えて励めと歌が流れる
友達と隠れて歌ったラブソングセーラー服に春風が吹く
友もなく言葉も判らぬ寂しさの畑の夕暮支えたこの歌
忙しく時は流れてアルバムの忘れた頁を歌は紐解く

「評」どの作品も上の句を支える下句に決定的な言葉が据えられていて、時代を語りかけてくれる「目尻を濡す」「堪えて励め」「セーラー服」「畑の夕暮」「忘れた頁」一首の中にピタリとおさまっている。ちょっとしたことにも目尻が滲むまでに齢を重ねたことよ、と共感しきり。

      サンパウロ      若杉  好

聊かの諍いの後眠りたる妻とは見えず安らかなる顔
酒呑めば息の臭きを言う妻に相槌うちつつ盃をほす
三つ目のアルカショフラをよばれおり料理法など教えられつつ
生活は楽にあらねど子ら皆が健やかに育ちゆくが慰め
永かりし旅路をなじり聞く妻のふくれし頬もやがて笑みゆく

    サンミゲル・アルカンジョ 織田 真弓

だみ声をはり上げ歌うカマラーダの小屋にも月の光はやさし
訪いくれば土壁剥げし友の家青空見ゆるを淋しみて坐す
太き指、ほそき指での焼香の手もと見つむる瞳は潤みきぬ
外出の当てなどなけれ派手な服着て見るのみに吾は華やぐ
賛同を集めしつつじ散りゆきて足音もなく春は深まる

      カッポン・ボニート  亀井 勇壮

三十年の見はてぬ夢を現実とし訪日の人の顔は明るし
つり下げし輸血の針を腕に受け妻はいまだに眠りつづける
ゆく夏のなごりとどめる俄雨横吹く風は雹もまじえて
様々な生業なると友人のみどりの畑に我は魅せらる
目頭を抑えて妻は寄宿舎の吾子の便りを拾い読みおり

      カッポン・ボニート  亀井 信希

愛らしやしかと抱きしめ八日振りこの子等ありての母とこそ思う
俄雨雹もまじれば神棚にローソク灯しおののきいたり
病む我に夜通し祈りくれしとう渡辺氏を語り夫と感謝す
故里の山に紅葉狩りし日の少女の思い甦りくる
寒空に鼻汁袖にぬりつけて遊ぶ吾子等の未来たのもし

「評」四十数年前の、現存する歌友の作品。「鼻汁の子」等がまた、その子等を思う。