自伝小説=月のかけら=筑紫 橘郎=(29)

 すると中から、二人の紳士が降りてきた。太郎は飛んでいき、二人に最敬礼をした。妻幸子が玄関のドアを開けながら、「貴方、はいってもらいなさい」と声掛けた。
 太郎は二人を促して家に入った。
「いやー、留守で済みませんでした」
「いや、君がそろそろ帰る頃かぐらいは、カンピーナスで調べさせて来た。どうだった、ミランドーポリスは変わった事は無かったかね」
「ハイ、良い旅でした。しかし、驚きましたね。社長直々のお出ましとは」
「そりゃあー、千年君。君は幸せもんだよ。今度は否応は言わんじゃろうな」と岩田喜代治ご老体。(実は岩田氏は八十才で仕事は引退カンピーナスの息子さんの元に転移していた)
 これでは太郎も話にならんと考えた。何か話題を見つけて、話を考え紛らわしてしまおう考えていたら、伊藤氏が「ああ、そうだ。今日は千年君に預かり物を持ってきた」と手元の鞄(かばん)の中から、一通の封筒を取り出して、太郎に渡した。
 太郎は怪訝そうにそれを受け取って、一瞬驚いた。封筒の裏に、父喜三郎(太郎の父)。すると伊藤氏が、ニコリとして「実はワシは、ふた月前にちょっと日本に行って来た」。
「エエツ!」と太郎が、中ば叫ぶ様に奇声を上げた。
 横から岩田ご老体が「千年君、そのまさかじゃよ。伊藤さんは、君より遥かに年もとっているし、金もある。年の功だよ。まァ、その手紙を見て、じっくり考えりゃ良か。見たくなけりゃ、見んでもええが。はっはっは」と笑った。
「岩田さん、解かってますよ。この前、日本から皇太子さまが見えられた時、アニャンガバウーにこの子(四歳の長女)を連れていきました。しかし、この子は帰りたくないとダダをこねるもんですから、岩田さん、貴方の長男、満人(みちと)さんちに泊めて貰った。その時、満人さんが『お前さんは、伊藤さんに偉い見込まれちょる様じゃ。近い内にお前さんのパパイ(父)に、社長が会いに行く』と聞いた」と話してくれました。
「ああそうか、そんなら話は決まった」と伊藤元二氏。岩田さんが手を叩きながら「良かったな、千年君。これで君も安心だ」
「何がですか」
「ああ、君はまだ手紙の中味を見ていなかったな。先ずそれを見てくれ」
 封筒の手紙に目を通していた太郎。急に立って裏の方へ出て行った。妻女が後を追った。なかなか太郎が戻ってこない。伊藤社長と岩田ご老体は、茶をすすりながら、顔を見合わせては頷いて居た。
 そこへ妻が戻って来た。
 「ああすみませんネ。家の人すぐ来ます」と言って、また出て行った。それから、またしばらく出てこなかったが、お客にはなんとなくしめっぽい雰囲気を察していた。
 そして太郎が、にこやかに嬉しそうな顔で、「いやいや、お待たせしましたと」と言って、入ってきた。
「顔で笑って、心は複雑だった。表情で即座に察しられた」と伊藤社長と岩田氏。
 太郎が「いきなり直立不動」で、二人に深々と頭をさげた。
「私のような者に、ここまでお世話いただき、お礼の言葉は御座いません。明日にでも橋本さんに申し出て、近日中に必ず参上致します」と低身低頭、心の底から申し上げていた。
 千年太郎の一大決意となった。