自伝小説=月のかけら=筑紫 橘郎=(32)

 今野さんが「あそう、実は俺はバンコ(銀行)に少しばかり借りがある。これを明後日までに返えさないと、後の融資を受けられなくなる。三日で良いから貸してくれないか。必ず三日目には返す」と頼む。
「ああ仕方ない。必ず近い内に返して貰えますね」と念を押し、「幾らぐらいですか」と訊ねた。
「すまんな、一万クルゼイロスでいい。そりゃぁー、無理です。せめて五千なら何とかしましょう」と言ってしまった。その頃は中古車一台五千クルゼイロスくらいの時代だった。
 言ってしまっては後の祭りの千年君。
「ああ、仕方ありません。男同志の約束です。明後日には必ず返して下さい」
「必ず返すよ」といって小切手を切って渡してしまった。
 千年君、不安は残ったが、思い切りは良かった。「今後はよろしくお願いします」
「それじゃ、また明後日」と暗くなって帰宅した。
 千年君、翌日、市営市場に出て見ると知人が数人バールにたむろしていた。
「おいおい、千年君。君は昨日、仕事場で今野君とかなりメートルをあげていたそうだが、まさか金貸したんじゃあるまいな」
「はい、その通り。少しばかり」
「なーんだと?!」と言いながら、皆でやっぱりと頷いていた。
「おい、千年君。いくら貸したか知らんが、今野に貸した金は金輪際、君にはかえっちゃ来んよ」
「ええっ、本当ですか」
「本当だとも」と笑っている人ばかり。
「君もやられたか。何も知らんからな、無理もないか。それで、どのくらい貸した? 何~っ、五千。ふぅーん、気前良く貸したなぁー」
「そんなに悪い奴ですか」
「そんなに悪い奴に見えんから、ここにいる人はこれまでに、皆なうまうまと口車に乗せられたんだよ」
「へ―っ、解からんな。人は見かけによらんもののですね」
「千年君、そりゃー、こっちとらの言う事じゃ。なんでも、今野は夜逃げしてカンピーナスに来た男じゃ.彼の奥さんが『結婚したら借金ばかりで、朝目覚めると、外に借金取りが毎日二、三人も玄関に並んでいて怖かった』といっていた。その内、おばあちゃんが『何で、こんな男を連れて来た』と怒り出して、おられんようになり、行くところが無かったから、カンピーナスの私の友達を頼ってきましたが、ここでもいつ追い出されるかと、ビクビク、ヒヤヒヤしながら、『朝が怖い』と嘆いていましたよ」とのこと。
 皆の話を聞きながら、不思議と心配がわかず、逆に『面白い』と笑いだしそうになった千年君でした。
 それほど、千年君は今野君が悪人には感じられなかった。これから、この二人のお付き合い(珍道中)が世間の噂の種と成って行く。
 その日から数日たったが、世間の噂通り今野君は借りた金など知らんふり。飄々と悪びれる様子がない。千年君も催促する気配がない。その当時、五千クルゼイロスと言えばフォクスワーゲン社コンビワゴン新車が一台買えた時代。借りていて知らんふりもないが、一度も催促しない奴も、また普通ではない。それどころか、毎日昼間から飲み歩く。その内、「あの二人に近づかない方が無難である」と陰口を叩かれる様になる。
 しかし、この二人。世間の噂などどこ吹く風。仕事を早めに切り上げては、毎日サンパウロに出かけるお大尽振り。奥様方も、それはそれは素晴らしいご寛容なご婦人と見えて、毎日ニコニコ。この世の春とお見受けするしかない。