自伝小説=月のかけら=筑紫 橘郎=(35)

 結果は、最初から解かっていた通り、万事休す。一時、お先き真っ暗に。これも自業自得の定めかと、サー、何とする。農家に支払うお金はゼロであり、品物の仕入れも完全にストップ。打つ手なしのこのままでは、帰るところもなし。
 「ままよ」と、とりあえずコーヒー一杯。
 俺の人生もこれまでかと、あるバールにふらりと這入った。気付くと奥のカウンターの椅子に、日本人らしい中年の事務員と思しき女性がつくねんと掛けていた。その後ろを通り抜け、一旦奥に行き、何気なくひき返す。くるりと回り、出口に行こうとした瞬間、彼女と眼があった。
「あのぅ」と女性が声をかけた。
 太郎が振り向くと、「貴方、銀行はうまく行きましたか」と問いかけてきた。
「何ですか?」
「あっ、御免なさい。いえね、貴方があまり真剣にシェッキをたくさんお持ちでしたので、商売がらお聞きしました御免なさい」
「いえいえ、べつに」
「そうですか、何か心配ごとでも」
「いやぁ、見抜かれましたか。いやね、シェッケ・セン・フンド(不渡り小切手)が、換金出来ず困ったもんですから」と、ついに太郎は本音を言って、慌てて手を横に振った。
「あそう。よろしかったら」と隣の椅子を手で差した。普通なら、この場合、遠慮していたかも知れないが、今日の太郎は落ち込んでいたのだ。ふらりと椅子に掛けていた。
 これが、彼女と千年太郎の因果に発展となる。ここでしばらく世間話、会話が弾む。彼女は「森沢須磨子」と名乗った。職業は「政府の中小起業庁サンパウロ事務所の相談員」らしい。なる程、人を見る目があったのだ。
「サンパウロ州内全体に不渡り小切手が氾濫。何とかしなくてはと解かってはおりますが、全てが死活の問題ゆえ、社会問題です。出来るだけ早く、不渡り小切手は換金処分しないと、紙屑になりますよ」と、心もとなく、彼女も手に負えず無口になった。
 ところが店に五、六人這入って来た人を見て、彼女がすっくと立った。
「千年さん、ここを動かず、しばらく待ってて下さいね」と言い残して、今入って来た人達と盛んに握手して楽しげに会話が始まった。
 その内、ちらりちらりと男達がこちらを見始めた。かれこれ十分くらいで、その人たちはコーヒを呑みほし、帰って行った。そして、彼女が戻って来た。
「千年さん、お忙しいかしら。今午後二時ね、これからしばらく私に付き合ってみない。ひょっとしたら、貴方には幸運が付いてるかも知れないわよ。お節介かも知れないけど、悪い話じゃないわ。私の気性ね。御免なさいね」
 どうせ行くあてが有るわけじゃなし。しばらく彼女に付き合う気になっていた。一体、俺はどうする気だ。幸運の女神か、それとも。
「しばらく、私にお付き合いしてね。あなたの為になれるかも知れないわ。これから私と一緒に、私がいつもお世話になってる、ブ○○○○銀行に行きましょう。もし、うまく行ったら、貴方、首くくらなくて済むわよ。あ、御免なさい。ブラジリアの本店で昨日、支店長会議があり、今日サンパウロ州内の支店長会議がさきほど終わったらしいわ。ここの支店長さんが貴方と話したいそうよ。支店長さんが、じかに話を聞くなんて、そんなに簡単な事じゃないのよ。その代わり、変な会話だとはっきりものを言う人だから、しっかりしなさいよ。解からないところを私が通訳しますからね。決して無理しないでね」