自伝小説=月のかけら=筑紫 橘郎=(44)

 特に専務は、「これからの君に期待されている特大有望地区なのだ。ここを二週間、君と周り、俺の全ての知識は一応説明した。だが、これからは君が奥さんにも教えながら頑張りなさい。そして早く軌道に乗せて、新入営業マンを二、三人抱える様になれば、奥さんなんか働かせなくてブラジルに錦を飾って見せなさい。この仕事は男冥利に尽きる。美味しい(素晴らしい)遣り甲斐の有る、実力本位の仕事だ。だから、せいぜい頑張って呉れたまえ」とはげました。
 さて、その翌日には広い会議室の隅の方に、千年君の席が移され、課長席は無かったが、千年君は須磨子夫人と二人、ここでは独立行動の第一歩に乗り出す事と相成った。
 全てご先方様の思惑に乗せられて、須磨子さんと二人暮らしに甘んじる羽目となり、自分の不甲斐なさ意志の弱さ、何としたものかと迷いながら、末はずるずると人の道を踏み外し、「ままよ、成る様に成るさ」とばかり、新所帯の気ままさ情けなさとは、正にこの事であった。「顔で笑って、心で泣いている千年君。
 さァどうする、ブラジル移民人生。最愛の妻、三人の子供、六人の孫が首を長くして待っているのだ。千年君、ここは男の正念場。一生一代の大団円と、なるかなれぬか。男の見せ場よ――「男はつらいね千年君」

最終章  「幸せとは」、

 その後、大東建設本社で仕事にも慣れ、上々の営業成績を上げるようになり、無事にブラジルでの借金も返した。それなりに久しぶりの日本を楽しみ、気がついたらあっという間に15年が経っていた。日本で大病したこともあり、結局は2005年にブラジルに帰国することにした。
 紆余曲折を経ることになったが、なんとか無事に家族とよりを戻し、現在では81歳。ブラジルでの移民生活60年になる。最近では、昼も夜も暇を見ては「NHKテレビ」ニュースを見ている。
 何せこの世はつぶさに見ていると面白い。大きい事から小さい事まで、心配記事で一杯である。これで良いのかと思う。特に日本のことは心配になる。
 私がブラジルに帰国した頃から、段々、日本のまわり騒がしくなってきました。書くのも「もどかしい」事の話ばかり。「イスラム国」問題、東南アジアの領海問題など、聞くも煩わしい事だが、地球の反対側からだから、ブラジルからは口出しは出来ません。最近はしきりにパナマ文書とか、疑惑がどうのとか、煩しいですネ。その一方で、熊本地震などの九州地方の天災と、その被害が長引くなど、気になることが次々に起きている。
 何はとにかく、今まで家庭が続いてきたのは、全て妻のお陰です。私の留守中、良くぞ我が家を守ってくれた。
 15年間とは、実に長い月日でした。「良くぞ、辛棒した」と誉めてやりたいが、「これぞ、日本の母である」と口まで出かけたが、やめた。
 これで終わります。長い間、愛読有難う御座いました。