ニッケイ歌壇(519)=上妻博彦 選

      サンパウロ      武地 志津

軽量も気迫で乗り切る日馬富士巨体逸ノ城下(くだ)す上手投げ
白鵬の手が顔面を被いたる瞬間豪栄道の腰砕け
一瞬を松鳳山の変化にて又も不覚を取りし稀勢ノ里
両手上げ怯える様の「勢」に白鵬忽(たちま)ち体勢崩れる
日馬富士の優勝称え喜びを分かち合いたる人は今亡し

「評」千代の富士が大相撲界で「ウルフ」と呼ばれ輝きを発し、惜しまれ急逝してしまった。以前、体力と気力を自ら口にしたが、心中には後輩への思いやりが滾っていたと思う。日馬富士が優勝した。稀勢の里への好意を寄せる言葉があった。

      サンパウロ      相部 聖花

車窓よりパット目に入りし黄のイペー九月の花と思いおりしに
掃除夫が花掃き寄せれば新たなる花舞い落つるイペーの木の下
バナナ買う半ダースなれど一本を副えてくるる主の笑顔明かるし
丈長きほうれん草を新来(しんらい)の邦人云えり「ほうれん木」だと
二人の子成績良かりし褒美とて娘ら旅立ちぬゴヤスの土地に

「評」一刻一刻の写実が仄かにあるいは穏やかに描き出されるところに単純化された美しさがある。性格特有な作品を読ませる歌詠み。

      モンテ・カルメロ   興梠 太平

金婚の日が来たのかとみつめあう傘寿すぎたる夫婦がいたり
子も孫も丈夫に育ちブラジルで第二の故郷金婚の年
二人して金婚祝いハシをとる妻のおこわの味の良さかな
今もなお口争いの出来るのを互いに黙し幸せなりき
ある時は嫌なやつだと思っても金婚むかえて感謝の念(おも)い

「評」今、大農場主として安定とした営農者。嘗て、愁眉を開き、もう引き返しはきかない、と振い立った日向の国の青年は、大陸の娘と結ばれた、只管に大地に向いつづけた。気付いて見たら、第二の故郷、そこには眉根の美しい孫たちがいる。そしてそうだよな、と見つめ合う金婚の二人、『夫婦がいたり』と客観視する。続く『おこわの味』の幸せを感謝し合う、傘寿である。

      グァルーリョス    長井エミ子

大輪の花笑みこぼる新都知事母国薄れしブラジルは今
発想の枯渇嘆くもいかんせん扉叩くは木枯しなりや
気紛れの風が無くとも散り急ぐイペーの根元猫眠りおる
一つ日(ひとつひ)を獣のごとく働きて冬の月光(つきかげ)仰向きて受く
やがて死が堰(せ)く我らをも連れ添いし幾年月をなぞらえておる

「評」この作品のもつ不思議な力は、従来の韻律を越えた、風の吹き変りの刹那を捉えた感情と言うより感覚の様な物だろうか。詩の流れから三首目が、筆者の好みである。五首目、少し理を抑えられてはと思う。

      カンベ        湯山  洋

大都市に人口集中続く世に民の胃袋誰が満たさん
荒れた地や捨て地も次々克服し大豆ミーリョの畑が広がる
豆ミーリョ増えれば豚や鶏も増え肉や卵が豊富安価に
嬉しさや元気を呉れる肉料理卓は賑い猫も微笑す
飢え防ぎ食の向上為す業に環境破壊と言う者も居る

「評」都市中心主義、消費経済。人類がこの地球で搾取を繰り返し乍ら格差は広がって行く、こう考える捻くれ者も居る世の中、腹をみたす有機物を生産する行為にも弱肉強食は付き纏う。自然淘汰も聖者の如く思いめぐらす歌詠みであろう。

      サンパウロ      武田 知子

大使館のトルコ料理に平和な日大使婦人のカフェ占いも
クーデタートルコ国内反乱に同胞多し思い乱るる
ニースにてテロとぞ「友は」と地図拡げリオンは中部胸なでおろす
大空を流れ行く雲ボートでは難民何処と定まらぬかな
傘拡げたるかの道辺ジャカランダ桜とまがうなごやかな景

「評」時事詠、混沌の世相を自身の過程に照らして詠み込むところに写実がつたわる。一首三首にそれを感じる。五首の作品の方向をも広げたい。

      バウルー       酒井 祥造

興にのりハーモニカ吹くひとときよ吾まだ少し若き心地す
声張って唄えぬなげきハーモニカ吹きて浮き立つ心まだあり
単調な曲のみ吹きてむずかしきしらべは知らずハーモニカ吹く
習いたることなく自習のハーモニカ開拓地育ち農の合間に
ハーモニカ吹きてベースもおぼえむと人居ぬ所に幾時こもる

「評」地球的規模、いや宇宙的なまなざしで人類の文明をみつめている農夫、しかも万葉歌人の様な大らかな人、今日は少年の日に帰りハーモニカを吹く、天衣無縫の息遣い。

      サンパウロ      水野 昌之

自炊した料理に採点付けながら腕の上達自分で褒める
煮炊き終え膳に揃えて一区切り普通の一家の主にもどる
ひと皿の赤飯三つにラップして冷凍にする一人のくらし
自炊して上手にできた夕飯に舌鼓打つそれが生き甲斐
亡妻の味おふくろの味追い求む自炊の厨吾れの泣く場所

「評」自からの行為の一齣一齣を反芻した言葉を映像化してゆく作法、特に五首目の下句に心ひかれる。

   サンジョゼドスピンニャイス 梶田 きよ

学校に行くのが好きで半日とて休みしことなしわが朱雀校
松原校ともいわれたるわが母校松原通りにありたる故に
九十歳すぎても歌が詠めるとは気の持ちようが最も大事
移民とう意識もうすれ何となく心楽しい今日の祭典
あの世行き慌てることは何もない幾つになっても明日は楽しい

「評」五、七、五の定形をピタリと守る作者、破調に出会った事を知らない。善意と肯定の静かな韻律の柔らかさ、京の情緒にはぐくまれた少女期がうなづける。三首目は、自身に呼びかけているのだ。

      バウルー       小坂 正光

顧り見て修養の道の険しさは自他平等の心境に至らず
青年期より来し方見れば精神の向上未だ高きに及ばず
幸いに青年期より酒タバコ好きにはなれず健康保ちぬ
酒呑みの父を嫌いし長兄は豪快なりしが酒呑まざりき
酒呑まぬ宗教団体の仲なれば遂に酒呑めぬ者となり行く

「評」(白玉の歯に沁みとほる秋の夜の酒は静かに呑むべかりけり)若山牧水は酒を道づれに旅を愛した。(幾山河こえさりゆかばさびしさの果てなむ国ぞ今日も旅ゆく)この歌をかざして大いにピンガを呑み、ついに呑めなくなった筆者。四十代でタバコと共に放棄した。よき時代であった。

      サンパウロ      大志田良子

一年にいち度の日本祭なり新築されて立派な会場
日本祭吾がたのしみは久しぶり友人知人に逢えるよろこび
別段に買物もなし娘と共にデパートめぐりくたびれ儲け
冬来たりここ数日の冷えこみは吾が老の身に痛くこたえる
亡き夫が共に過した車椅子利用者ありてうれしききわみ

「評」日本祭を娘と共にそぞろ歩きの楽しみ、それ以外に何がほしかろう。母娘の今日のくつろぎ、忙しかった過去のことなどがほぐれてゆく五首目。友人に娘を紹介する姿が、ありありと浮んでくる作品。

      ソロカバ       新島  新

我が住めるイビチデパッソの土地が売りに出されし頃は片田舎なりし
二十余年を過ぎてイビチロイヤルは、イビチレゼルバ路を隔てて
コンドミニオが固まって三つ有りにしも街の外れの感は今でも
セントロよりバスで二十五分でも街外れの感は否めず
街の外れで善しとせん終わりが有りて新しき未来はじまる

「評」新島の作品には常に時間と空間の接点に自身を据えて哲学する世界観が在る。もし、差しで言葉を交したとしても一点を凝視する眼にたじろぐだろう。

      サンパウロ      坂上美代栄

歌の欄名前見えぬに電話する思いは危惧に冗談なども
声の主「元気ですよ」と変わりなし伴侶亡くせしを今だに悔む
処女作の朝顔詠みて父罷る近くば趣味も分かち合えしに
天国で亡夫に会うには憚れる長男よりも歳下のあなた
子や孫ら普通に育つ嬉しさよ生まれる前はせめて無事をと

「評」友人も父も子や孫たちも全ての出会いが懐かしい。思えば『あなた』は長男の今の年齢より若かった。人間の一期一会を思い懐かしむ、そして時は推移して行く。

      千葉県        柞木田やす

足のうらやけつく真昼とびはねて木陰に入りぬ貧しかりにし
暑き日は裸足のままにとびはねてケンパケンパと砂利道ゆきし
フレヤーのスカートほしさに雨傘をほぐして縫ひき黒きスカート
骨折れの傘をリサイクル黒布のフレヤースカート仕立てあげたり
さはさはと砂糖キビ畑に風薫る海のふるさと山の故里

「評」五十歳過ぎてから始めての作歌。故郷をしのぶ歌にはじまる歌集『七福神』からの抄出。筆者の七番目に生れた妹で長女。戦後の混沌の頃に生れ、中学卒業後、金の卵と呼ばれ集団就職した。小学のころから洗濯、炊事をまかされた十人家族の少女だった。その頃、長男の筆者はブラジルに出奔同様にして渡った。この妹が還暦を前にまとめた歌のつづり帳。