禁固56年の一審判決下る=焼津母子3人殺人事件公判=「やくざに脅されて殺した」

 静岡県焼津市で2006年12月、交際相手の日系ブラジル人女性とその子供2人の首を絞めて殺害して帰伯逃亡したと当地で起訴され、サンパウロ市ピニェイロスに勾留されているエジウソン・ドニゼッテ・ネーヴェス被告(53)の陪審裁判が9日午後、サンパウロ市バーラ・フンダ区の刑事裁判所で行われた。公判は10時間以上にわたって行われ、一審判決として56年9カ月10日の禁固刑が下された。しかし、既に被告は控訴の意向を示している。

 「やくざに脅されて殺した」――裁判官に起訴内容について問われた被告は、そう主張した。3人殺害を認めたが、「自分の意思ではない」との主張を新たに始めた。
 サンパウロ州バストス市出身のネーヴェス被告は90年、日系人妻と訪日。焼津市内の水産加工工場で働いたが、2年後に妻と別れ、日本人女性と10年ほど結婚生活を送った。
 工場労働の傍ら、ブラジルのテレビ番組を録画したビデオテープをブラジル人同胞に貸す商売を始めた。被害者ソニアさんと恋仲になったのは、日本人妻と別れた後の05年頃。ソニアさんはその頃、既に夫との関係は破綻していたという。
 帰国の数年前から、被告はブラジル人相手の高利貸し業を始め、貸した金の総額は32万ドル以上になった。
 被告供述によれば、06年10月に日本人や金を貸していたブラジル人数人が「金を寄越せ」と被告を脅す事件が連続して起きた。被告を脅迫したブラジル人の一人は、ソニアさんのパトロンだったという。「自分を脅迫した奴らは、私の仕事のことをよく知っていた。だから彼女に不信感を抱いた。脅迫電話もかかるようになり、家に一人で帰るのが怖く友人宅を泊まり歩いた」と訴えた。
 被告はソニアさんに3万ドル以上も貸し、事件の前から関係は冷え切っていたという。事件当日、ソニアさんの次男ヒロユキ君(当時10)にクリスマスプレゼントとして自転車を買い、届けに家に行った。そこにヤクザらしき男3人が押しかけ、被告に「金を出せ」と脅した。そこにソニアさんが加わり、殺すと言って被告をナイフで襲ったという。
 「自分を守ろうとナイフを奪って、男と彼女の上に跨り我を失った」とし、男らに「金が出せないなら一家全員を殺せ」と命じられたと供述した。「言う通りにしなければ自分たちがやって、お前のせいにすると言われた」。まず次男の首を手で絞め、次にロープで絞めた。その後、自分の家に行き、長男を殺せと言われナイフで襲った。
 男らは「一週間後までに金を用意しろ」と言って去っていったという。「殺すつもりはなかった。2日前には既に航空券を買っていた」。その夜は友人宅に泊まり、翌日静岡駅から新幹線で横浜へ行き、帰伯の便に乗ったという。
 「後悔しているか」との弁護士の問いに、「とても。あれで全てを失った」と涙声を出した。

陪審員7人「有罪」判断=検察官「満足している」

 被告の供述の後、担当のネウジバル・マスカレニャス検察官は、「ヤクザの話など今日初めて出てきた。(日本の)警察の調書には第三者の犯行関与の記述はなく、マスコミも一切報じていない」と指摘、「彼を追っていたのは警察では。違法の高利貸し業で警察が調べていた」と供述に疑問を呈し、陪審員に「尊い3人の母子の命が奪われた。有罪判決を下してほしい」と訴えた。
 最後に陪審員らは有罪と判断し、裁判官が刑を宣告した。検察官は取材に対し「満足している。原告側の主張が全面的に認められた」と話した。56年9カ月10日の刑期は、ソニアさんと長男ヒロアキ君殺害の罪で各17年6カ月。ヒロユキ君は14歳未満だったため21年9カ月10日の刑期。それらを足し合わせた。

■記者の目■少々無理ある弁護戦術か=「ヤクザ」関与ありうる?

 静岡県焼津市で2006年12月に日系ブラジル人女性ら3人を殺害して帰伯逃亡したネーヴェス被告の公判(9日、サンパウロ市)では、公共弁護局(defensoria Publica)の弁護士2人が被告の弁護人を務め、検察官をしのぐ勢いで弁舌をふるった。
 「日本の警察の捜査は文句のつけようが無く、証拠も揃っている。犯された罪は恐ろしいもの」とした上で、「被告は初犯」「文化が全く異なる閉鎖的な日本社会で厳しい労働を強いられた一外国人だった」「在日ブラジル人社会の中で同胞を助けながら生きていた」などと強調した。
 このように弁護人が被告を擁護するのは当然だ。しかし、これらの主張は、被告の行為を正当化するものではなく、酌量の余地はない。
 原告側の証人の多くが「被告の母子3人への態度は荒々しく3人はネーヴェスをゴルド(デブ)と呼び、嫌っていた」という主旨の証言をしたという。しかし弁護人は「自分は酒も煙草もやらず、女性に暴力を振るったことは一度もない。嫉妬深い性格でもない」という被告の供述に触れ、被告の女性関係については「最初の妻とも、二人目の日本人女性とも長く連れ添った。いずれも別れの原因は彼ではなかった」と説明。「被害者に関係の終わりを告げられ、逆上した」とされる犯行動機を、「彼の性格を考えると合理的ではない。たった一度の過ちだった」と訴えた。
 証人の一人で被告の内縁の妻シルヴィア・アルヴェスさんは、尋問に対し「すばらしい人。口論も暴力もない」と証言、「関係を持ったことに後悔はない」と話した。
 弁護人は日本メディアの報道にも触れ、「日本はブラジルと比べ、殺人の発生率が格段に低く、人々の犯罪への感覚が違う」と指摘した。
 さらに「日本のメディアはブラジルのインプニダーデ(刑事免責)、自国民を引き渡さない憲法の規定を批判するような報道をしたが、日本だって自国民を引き渡さない。エジウソン被告についても、逃げ帰ってブラジルの司法の手から逃れていると言われたが、既に3年半勾留されている」などと批判した。
 取材中、気になったのは、ネーヴェスの「日本にいたときも、今でもヤクザが怖い。彼らは容赦がない」との発言に関して、供述内容の曖昧さに対する検察側のもっと鋭い追及があってもよかったという点だ。
 弁護士は「PCC等のブラジルの裏組織について誰も語りたがらないのと同じで、証人もヤクザについて話すことに恐怖があったため、これまで表に出てこなかった」などの持論を展開した。
 だが「ブラジルでヤクザ」との部分は疑問だ。陪審員も裁判官も誰一人実態を知らない中、弁護人は一般社会にある「世界的な犯罪組織ヤクザ」という先入観を、弁護戦術の中でムリに拡大しようとした可能性がある。
 万が一、ヤクザのような第三者の関与があったのであれば、静岡県警も究明していたに違いないし、日本のマスコミも報じていただろう。
 結局はどの弁護側の主張も陪審員の判断に影響することはなく、原告側が満足する判決が下された。被告は控訴する意向のようだが、受理されるかどうかはわからない。この裏づけの無い「ヤクザの関与」がどの程度影響するかが、裁判の行方を握る鍵になりそうだ。

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 焼津市親子3人殺害事件の陪審裁判は当初、9日午後1時開始予定が、1時間ほど遅れて始まり、被告側証人尋問、被告人尋問、原告側、被告側の弁論を経て、一審判決まで10時間以上もかかった。終わったのは、なんと夜中1時近く…。かなりの長丁場だった。当日は、ネーヴェス被告の親族が数人出席していたが、殺害された少年2人の父親マルシリオ・コウイチ・ミサキさんは2010年に焼津市内で死去しており、被害者の遺族の姿はなかった。事件からはや10年――。関係者ならずとも、早期の最終判決に期待したいところだ。