人体用語の語源を辿る「アッ・ハー体験」で言葉を楽しむ=サンパウロ市 ヴィラカロン在住 毛利律子

レオナルド・ダ・ヴィンチの人体図(en:Vitruvian Man、Leonardo da Vinci [Public domain], via Wikimedia Commons)

レオナルド・ダ・ヴィンチの人体図(en:Vitruvian Man、Leonardo da Vinci [Public domain], via Wikimedia Commons)

 小難しい響きのある「医学用語」だが、実は、その言葉が生まれた背景にある「文化(その地域の宗教・言語・慣習)」が興味深い。世界には国の数ほど文化があるわけだが、それら、古代に発祥した病に関する言葉が現代の私たちが何気なく使っている言葉につながっているのが意外な発見となり、いかに人類が古くから病と格闘してきたかをうかがい知ることにもなる。奥深い人体の仕組みには、興味深い事柄が多く存在し、事実、それらの様々な言葉は、根強く今日の生活の中で生き続けている。とりもなおさず、人間の最も強い関心事が「健康で長生きする」ための、「自分の健康」に関することだからであろう。

 人体はときどき「小宇宙」に譬えられる。2000年以上も前の、古代ギリシャや中国の賢人、宗教者、医師たちは「人間」を理解するため、魂の探求や、遺体を解剖して病を解明し、治療法を模索してきた。この願望達成の努力は現代も全く同じで変わらない。
 つまり今日ですら、人間の心身を究明すればするほど不可解な謎に満ち、およそ正解を見つけることは難しいということに至るのである。
 現代は、あらゆる分野の研究が緻密になり、一般人でも興味や関心があれは専門家の解説を読むことができるが、情報過多、専門的過ぎて難解であり、「何を選べば間違いないのか」を知るのはむしろ困難である。
 しかし、あらゆる学問の元となる「古典」を著した古代の賢人・偉人たちは、問題や疑問の核心を普通の言葉で見事に突き、より明確に「あぶり出し」、ざっくりと言い切る。

▼「アッ・ハー体験」

 そのような文章から受ける刺激は、今日流行りの「アッ・ハー体験」に似ている。この「アッ・ハー体験」は本来、知識による〈気づき〉ではなく、身体の感情・神経・生理的な感覚が重なり合って「身体全体」で納得することを指す。
 一瞬閃いて「アッ、ハー」と納得するときの脳の神経細胞は、一斉に活動して、世界の見え方が変わり、神経細胞が猛烈に連携して「一発学習」が完了するという。
 「ゲシュタルト療法」という名称でも紹介されているが、すなわち、人間が生存するために本来的に備わった〈気づき〉能力を活性化させる治療だそうだ。
 人間社会で「行き詰まり」や「周りとの関係」改善のための治療法で、その結果、リーダーシップを発揮できるまでに改善すると言われる。
 「目からウロコのアッ・ハー体験」はいろいろなことから体験できるが、ある言葉の意味を知ったときなども起こりうる。
 ここで紹介する解剖学的な身体の臓器に使われる言葉が、こんなに身近なものと繋がっていた、と知るのもその一つになるであろう。
 ここでは日本人にとって当たり前の「漢字表現」の面白さを中心にして楽しんでみたい。

▼身体部位の難読漢字いろいろ

ヒトの消化器(By Mariana Ruiz (LadyofHats) [Public domain], via Wikimedia Commons)

ヒトの消化器(By Mariana Ruiz (LadyofHats) [Public domain], via Wikimedia Commons)

 世界各国には様々な医学があり、例えば、ギリシャ医学、イスラム医学、東洋(中国漢方)医学、アーユルヴェーダ(インド伝統医学)、チベット医学など、歴史が長い伝統医学がある。日本は医学を中国からも導入したが、身体各部位の漢字表記は読むのも書くのも甚だ難しい。
 漢字が難解なのには理由があり、日本の漢字には音読みと訓読みがあるからだ。音読みは、「呉音」「漢音」「唐音」がある。呉音は仏教用語や庶民の用いた言葉に多く見られ、漢音は儒学用語に多く使われた。
 鎌倉以降に入った唐音は、現代の北京語に最も近いといわれている。明治以降に漢音が主流となり、解剖学用語も、その多くが漢音読みだといわれている。
 昔の中国では遺体を解剖することは禁じられていたという。それでは何故、このように内臓にまつわる言葉がたくさんあるかというと、昔の方が魚や動物を捕獲し自分で捌いて食べていた経験上、内臓の知識が蓄積されたのであろう。
 また、戦争や刑罰などによって処された死体に接する機会も多く、人体の諸臓器そのものを直視して、各臓器から得た知識や解釈は生活に密着した形で現在に根強く受け継がれていると考えられる。
 人間の身体隅々まで網羅した難読漢字表現は、あきれるほど難しい。
 中にはパソコンの漢字変換でも出てこないので、変換ツールを使って捜し出すことになる。見つけた字をじっと眺めていると、その意味するところのイメージが連想できるのも不思議である。
 アルファベット26文字の言語文化もすごいが、中国の医学用語もさすがにスゴイ!
 しかし、日本は、さらにそのまた上をいってると感嘆することがある。日本語の場合は、借入語を漢字やひらがな、カタカナを使って日本固有の言葉に見事に変換するからである。
 平安時代に源順(みなもとの したごう、911―983)という人物がいた。古い日本語(和語)を撰集した『和名類聚抄(わな・るいじゅうしょう)』の編者である。
 それによると、「脳」は「なずき」と言った。他に例を挙げてみると、「五臓六腑に染み渡る」「五臓六腑煮えくり返る」などという言い回しがある。広辞苑によると、「飲んだものが内臓全体に染み渡るように美味である」(酒に関して用いられることが多い)ことをいう。
 「五臓」とは、「心・肺・肝・腎・脾」の五つで、音読みでは「しん・はい・かん・じん・ひ」となるが、「和名類聚抄」によると、大昔の日本人は「心・こころ」、「肺・ふくふくし」、「肝・きも」、「腎・むらと」、「脾・よこし」と読んでいたそうである。
 同じように、「六腑」はどうかというと、まず「胃」のことを、言うも恥ずかし、
「胃・くそわたふくろ」と言っていたという。
「小腸・ほそわた」
「大腸・はらわた」
「膀胱・ゆばりふくろ」
「胆・い」
「三焦・みのわた」、膵臓の「膵(全てが肉)」は日本で作られた国字で、ギリシャ語のパン(全て)クリアス(肉)に符合し、中国より先に西洋医学を取り入れていた日本が逆に中国に輸出した漢字というから面白い。(注=「五臓六腑」の解説については、専門的な東洋医学による解説書、サイトがある。ここでは単純に言葉の変遷について言及している)

▼人中とは身体の中心?

 体の中心は「オヘソ」というのが一般的と思っていたが、顔の中に「人中・じんちゅう・にんちゅう」というのがあるということを知った。
 それはよく人相学で使う言葉で、鼻の下から上唇の上にある二本のスジがはっきりしていると「広く幸せを授かる」そうだ。
 このことを最初に指摘したのが、元朝末期―明朝初期の学者・陶宗儀(とう・そうぎ、生年不詳―1369)が著した『輟耕録』(てっこうろく)に解説されているという。
 それによると、人中より上にある目、耳、鼻は穴が二つあるが、それより下は口から尿道、肛門まで単一の管(穴)であるという。
 ポルトガル語で「人中」に当たる言葉はなく、ラテン語でフィルトラム、ギリシア語ではフィルトロンといって「媚薬」のことを言うらしい。
 ラテン語の「フィル」という言葉は「愛する」という意味で、「哲学」は「フィロ=愛する、ソフィア=知識、知識を愛する」「フィルハーモニー=交響楽は音の響きを愛する」ということになる。それにしても「媚薬」を「人中」に塗ると効き目がある、ということなのだろうか。
 西洋医学と東洋医学(主に中国の漢方医学)では同じ病気でも治療の実践方法は大きく異なる。西洋では人体を《関連する一連の構造物》と見なすが、東洋では、臓器同士が互いに《依存しあって機能している》と考える。
 おそらく心臓はどの臓器よりも、臓器というだけでなく「こころ」として、古来から、人種を問わず関心を集めたということは誰もが実感するであろう。
 今日の〔臓器移植〕に関しても、古今東西、民族を問わず「心=心臓、命の泉」というのが共通した概念であり、であるからこそ、多くの国が「脳機能停止」ではなく、「心停止」をもって人の死と考える。人体を「パーツ」とする考えを受け入れがたいとするのは、当たり前の感情であると思う。

▼オノマトペ表現の有用性

 国や言葉が変わろうと、人間の身体を見る医師と患者の目的は「病を治す」ことであるから、医者はその症状をいかに聞き出すか、患者はいかに上手に説明して治してもらうかを突き合わせ、最良の治療を選択する。
 そこで、日本ではその有用な手段として、オノマトペ(声・物事の音・様子・動作・感情などを簡潔に表し、情景をより感情的に表現する手段)は非常に有用だそうだ。
 オノマトペは元々、古代ギリシャ語の「オノマトポイーア」を由来とし、英語では「オノマトピーァ」約千語、フランス語では「オノマトピ」約六百語、日本語では「オノマトピア」約五千語あり、これらの国の中でも、言葉文化が豊かな日本語が最も数が多い。
 残念ながら筆者はブラジル・ポルトガル語のオノマトペがどのくらいあるかを把握することができなかった。もし、ご存知の方には是非ご教示いただきたい。
 それでは頭が痛いという場合の例をいくつか挙げると、「ズキンズキン」「ガンガン」「キリキリ」「ピリピリ」「ジンジン」等々、その表現から頭痛か神経痛かを推測できるという。
 上げればキリが無いが、興味のある方には『オノマトペ辞典』などお薦めしたい。きっと日本語特有のオノマトペの面白さを満喫できるであろう。

▼ちょっと一休み!

◎「ルビを振る」の「ルビー」

 脳の中に「赤核(レッド・ヌークレアス)」がありラテン語のルベル(赤)が用いられている、英語ではルビーが派生した。
 ニッケイ新聞ではおよそ全文にルビが振られ、読者にとってはたいへんありがたいことであるが、漢字にフリガナを振ることを「ルビを振る」という。これもルビーに由来している。
 活版印刷が行われていたイギリスで活字のポイント数ごとに愛称を付けた。例えば、文字の大きさを「ダイアモンド」「パール」「ルビー」「エメラルド」などと宝石の名前で表し、「ルビー」という文字サイズが、日本では振り仮名に使う「7号」という文字サイズに近かく、振り仮名の文字サイズのことを「ルビー」が訛って「ルビ」と言うようになり、やがて振り仮名自体の名称も「ルビ」となった。
 このルビを振る作業、たいへん骨が折れることを特記したい。

◎テンプル(お寺)とテンプラ(天麩羅)

 この頃は、集合写真撮影のときに「スシ~~、テンプラ~~」のかけ声をよく耳にするようになった。
 このテンプルという言葉、医学でいえばラテン語のテンプスに由来し、目の両側にある側頭骨の「こめかみ」を意味する。そこに指を当てると脈拍を感じることから、テンプス(時)の意味を含んでいる。
 この言葉に関連する英語やポルトガル語は少なくない。テンペラトゥーラ(気温)、テンペスタージ(嵐)、楽曲進行の速度テンポ、英語で短気はショート・テンパー、テンポラル(世俗的な時間、現世の)、テンポラリオ(一時の、つかの間の)などがあげられる。
 この言葉はギリシャ語で「切る」を意味するテムネインと関係している。人間が意識する「時」は、永遠の時の流れから「切り取られた」一部分である、という考えから生まれた。
 医学的には「こめかみへの一撃はその人に終わりの時をもたらす」といった説もある。
 さらに、テンプルといえば、「寺院」を意味する言葉でもある。「こめかみ」の語源のテンプス(時)でもあり、ラテン語の(神殿)に由来し、先にふれたギリシャ語のテムネイン(切る)に関連して「聖なる場所として空間上に切り取られたエリア」=「聖域」という意味から派生した。
 ちなみに、日本人にとっておなじみの「天麩羅」と、「寺」を意味するテンプルの両単語はじっさい語源的につながっている。
 広辞苑によれば、天麩羅(テンプラ)はポルトガル語の「四旬節」のテンポラス「時節」に食べた魚料理を意味するというが、他にも諸説ある。

▼「宇宙から地球を探求する」時代到来

 第2次世界大戦後、人類は史上初めて「地球を宇宙から探求する」ことに成功した。現代人は今日、世界が一瞬にしてつながるのが当たり前になり、GPS機能や気象観測、災害対策など、先端的技術の恩恵をあらゆる分野で享受している。
 ここでは、その詳細について触れるのが目的ではないので割愛するが、現代人は地球上のあらゆる「文化」の壁を越えて、互いが利用し、味わい楽しむ喜びを共有する「文明」の利器を獲得したのである。
 衛星放送による情報で豊富な内容の医療と健康に関する番組を見て、素人もかなりの医学通になってきた。ちょっとした集まりでは、耳学問で得た知識の披露合戦で賑わっている。
 そのような中でも、わりに解剖学的な身体の部位の用語と日常茶飯の事柄が結びついていることはあまり知られていないようだ。そこで、四方山つながりのあることを並べてみるとこれが意外な驚きの連続である。まことに脳を刺激して活性化するというこのような「アッ・ハー! なるほど! そうだったのか!」体験をたくさん経験したいと思う。
【参考文献】
「語源から覚える解剖学」河合良訓監修
出版社 エイ・ティ・エス2004年
宇宙航空研究開発機構JAXA(Iss.jaxa.jp
「医学」https://ja.wikipedia.org