ニッケイ歌壇(523)=上妻博彦 選

サンパウロ      梅崎 嘉明

大鳥居くぐればピニアル植民地広き会館太鼓の響く
誘はれて出で来しピニアル別名は福井村とかデコポン産地
福井村と記せる法被で商える老若男女さながら日本
一つのみ食べても良しと許されてデコポン狩りに人はにぎわう
デコポンと誰が名付けしや稚拙とも愛嬌とも言われ馴染める

  「評」『実相観入』とは、茂吉の歌論、だがそう難しく言わずとも、氏の作品は肩肘張らず、ぴたり据わっている。被写体へのレンズのしぼりと、シャッターの呼吸なのかもと、三十一文字にとらえる韻律は感性の豊かさから自ずと生れるのでは。『広き会館太鼓の響く』、聴覚の心地よさ。

グァルーリョス    長井エミ子

渡り鳥ふる里向こうて旅立つや雲重ねたる空掻き分けて
藤波も機嫌損のう年あるや花房淋し降りそむる雨
蟻の帯長く流れて暑き昼真紅のばらを担ぎ去りたる
シュラスコはいつもこま切れ吾の前にかぶりつきたい日もあるのです
暇あれば家事一切を横取りす男子(をこ)の気遣い迷惑にして

  「評」愈感性の磨きと鋭さを感じさせる。この一連の五首、始めから詠み、そして終いから詠み返す、三回ほど繰り返すと、作品の味が感じを増す。近代短歌(明治から大正)そして昭和の戦後まで目を通したであろう後の現代の流れに、立ち向かって詠んでいる風に思える感覚の人。

サンパウロ      武地 志津

稀勢の里琴奨菊の対戦に一と際熱き声援飛び交う
熱戦の続く秋場所満員の客の楽しむ様子に和む
遠藤の怪我も癒えつつ本来の取り口も冴え技能賞受く
両親の見守る終盤豪栄道横綱日馬を必死の首投げ
抜群の集中力で豪栄道遂に優勝〝全勝〟で飾る

  「評」単なる解説上手ではない、芯からの相撲好きなのだ。稀勢と琴関の対戦に共に浸り、和む。両親の見守る前で、豪栄道の優勝を見とどける作者は、感激のあまり、目も鼻までも拭いあえず。だから、実感の歌が溢れる。

サンパウロ      相部 聖花

久し振りに戸棚の奥のレセイタ出し作りしプディン孫らに受けたり
雨に打たれ重さに堪えいるカトレアの花持ち上げる細紐をもて
一日を命の限り咲きしイペー花型そのまま降るごとく散る
卆寿の姉、弟に託し「前向きに元気で生きてる」との伝言あり
銀行スト権利とは言え庶民に酷、解除待つ日日(ひび)長しと思う

  「評」言葉をもたぬ草花に対く作者の気持ちは、『花持ち上げる細紐をもて』、この些細な具体行為で通じ合う。偶たま、孫達への心づくしのプディンの様に受け入れられる、自然人生一致融合の境地なのだ。

サンパウロ      水野 昌之

あいまいな詠みを厳しく指摘する有難きかな歌友というは
「歌壇」に載るこれなる一首は吾のことか君の友情今にして知る
老いてこそ出せる味わい短歌にも加齢を無駄にさせず詠み次ぐ
読み古りし「啄木歌集」をまた開く心が沈み詩歌に拠りたき日
歌友らと激論交わした余燼あり家に帰るか飲み屋にするか

  「評」啄木の妹だったか、(たはむれに母を背負いてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず)の作を、『兄が母を背負ったなど嘘だ』と言っていた。それでも、そのあまりにも具体表現は万人に通じて琴線にふれ泣かせた。(月に三十円もあれば都会にても油味噌の有るを知らぬ啄木)と評した歌詠みも居た。依怙地で泣虫で、金を借りると返せないまま二十六歳で逝った天才啄木。三十五歳で逝った子規の和歌革新の煽りだったか。つくづく『老いてこそ』を思う水野作品。

バウルー       酒井 祥造

大都市に住む人強し排気ガスこもる大気も恐れずに住む
快晴の日は無きらしきうす青を大気に曇る大都市の空
夜も昼も車堆(つ)める大通り河岸の樹々緑に茂る
都心より三十キロ来て大気澄む山野の緑車窓に見つつ
小都市の郊外に住む吾等なる大気のよごれ気にせずに住む

  「評」慣れの怖さを柔らかい言葉で語りかける作品。四首の実感は、都市生活者にさえも感じ取れる。ましてや、巨大なお碗を伏せた様な都市圏の大気に入り、出る時の思いは『大都市に住む人強し』と、あくまでも、祥造の言いである。

サンパウロ      坂上美代栄

日系の老人独り黙々と溶接、修理笑顔を見せず
長年の営みなりしか諸々の道具や機械重油に汚れ
何が何処雑然なるも言えばすぐ取り出しくるる手元は確か
火花散り油汚れの溶接所籠の小鳥は鳴くを忘るる
手伝いにならぬ鳥だが一日中動き止まぬに負けては居れず

  「評」現代版鍛冶屋一連、(暫しも休まず槌打つ響き、飛び散る火玉に走しる湯玉、鞴の風さえ―)を彷彿させる懐かしい写実、籠の小鳥との取合せに久しく味わえなかった詩情がある。

サンパウロ      武田 知子

USPにて教壇に立ちし孫なれど嬰児を連れ留学の途に
家を貸し貯めた預金であこがれのコインブラへの道を選びぬ
その度びに円やユーロ餞別に留学好きの孫に与えぬ
乳母車トランク四つ背にリュック引越しさながら孫の留学
二歳より諸国に連れし孫の言うボボに見習い弁護士の道へ

  「評」孫を見まもる祖母の眼が、いかんなく発揮されている。嬰児連れでの本格留学、そこまで見届けられる、人生は賜り物だと、只管だった過去をふり返えっている作者なのだろう。

カンベ        湯山  洋

家事仕事遣ったことなき吾なれど妻の旅行に留守を引き受け
洗濯や炊事掃除をやってみる失敗したり汗を掻いたり
冷蔵庫電子レンジの貼紙に吾また一つ小さくなりたる
一人居の食事の時もソファでも床の中まで空間ばかり
夜の電話早く帰って欲しいのにここ大丈夫ゆっくりして来い

  「評」三、四首、全く読む者をして泣かしめる、湯山の作品。ましては五首目に至っては人間、洋の感ひとしお。

ソロカバ       新島  新

驚いたバスの中での捕り物帖二人のポリス手古摺る騒ぎ
運航開始したるバスはも渋滞に目的地まで歩いた方が
この朝は予定を変えて動物園に行こうかと決めたその日の矢先
久びさの動物園は土曜日で見物人は引きも切らずに
今回は小鳥の檻の並ぶ棟声を聞きつつじっくり巡る

  「評」一首一首に得も言えぬ、新島新の性格劇風の作に出会うのが楽しみ。今、新聞社に打立つ所で届いた。ありがたし。

バウルー       小坂 正光

朝のコーヒー飲みつつ水曜日の日系新聞文芸欄を読むを楽しむ
週毎の火、木、土に日系新聞早朝バイクが投げ入れて去る
午後二時半、郵便箱には手紙類の有るを期待し明けて見るなり
中心街のアパート住みいし末弟と長期間バールでコーヒー飲みたり
ボストンに住む末弟の一人娘が父を連れ行き早一年が経つ

  「評」日々の刻々を根をつめ作品にしようとする姿が見える。『早朝バイクが投げ入れて去る』準二世とも言える。この世代の歴史には文字に飢えた期間があった。一番通じた末弟も、遠く娘の所に行ってしまった。

サンパウロ      大志田良子

早朝にペット犬連れウォーキング見知らぬ方の吾れも負けじと
ウォーキング名も知らぬ花歩道よこ遂あいらしく手折りて帰る
一年に六度の大相撲のがさじと朝四時起床苦にもならずに
日本人横綱不在の大相撲全勝豪栄道横綱めざす
さわやかな文字を葉書にうめつくすとだえいし友の便りに安堵す

  「評」字足らずよりは、一字余りでも助詞を使い韻律をととのえるように、つとめられたい。参考までに四首目下句を、上下入れ替えて見た。

リオデジャネイロ   野々村澄江

借りて読むニッケイ新聞知恵袋
拝啓
私は新聞はいつもお店等で「みそ」「しょうゆ」を包んでもらったのを、シワを伸ばしながら読んでばかりいました。先月一ヶ月分全部頂いて、新聞とはこんなに私の知らない事がいっぱいだとうらしくなりました。

  「評」敢えて評をさせてもらう。この作品、初投稿。俳句かと思ったが、季語が見えない。俳諧の人かと思う。それは五・七・五を上の句とすると『リオデジャネイロ 野々村澄江』の『野々』と態わざ、一字ふやして(深よみか)、下の句七七を付けた俳諧歌なのでは、と短歌馬鹿の妄評でお許しを乞う。