宮崎県人会=留学50周年の節目を祝福=母県から副知事ら迎え感謝=研修35年、農業20年も合わせ

記念撮影に収まる関係者ら。相互の友好関係を確かめた

記念撮影に収まる関係者ら。相互の友好関係を確かめた

 宮崎県によるブラジル移住者子弟の留学制度開始から50年が経過したことを記念し、ブラジル宮崎県人会が23日、サンパウロ市内で記念式典を開催した。稲用博美副知事ら母県から訪れた8人の慶祝団に感謝を伝え、来伯団員も当日訪れたOB・OGらと交流のひと時を楽しんだ。なお技術研修は開始から昨年で35年、農業研修はちょうど20年が経過し、3つの節目を合わせて祝った。

 宮崎による県費留学制度の開始は1966年にさかのぼる。今年度を含め計88人が祖先の国に滞在する機会を得た。80年に始まった技術研修は86人、96年からの農業研修では40人が訪日している。

ケーキカットする女性陣。左から関口ひとみ首席領事、高橋県人会長、県庁職員の久島章子さん

ケーキカットする女性陣。左から関口ひとみ首席領事、高橋県人会長、県庁職員の久島章子さん

 開会あいさつに立った高橋久子県人会長は、「半世紀が流れ200人以上の子弟が母県で研鑽を習得した。長きに渡るご厚情に感謝」と謝意を伝えた。また「式典の声かけでは3分の1から応答がなかったが、久しく音信のなかった者の参加もある」と報告し、「子弟は自力精神に富を得て帰国。両国の良い部分を生かしてほしい」と、集った元留学生らを激励した。
 稲用副知事が河野俊嗣知事の祝辞を代読。「就学の機会と交流を目的に始まった事業。培った知識、経験を生かしブラジルの発展にも貢献しておられるはず」とつづり、OB・OGによる交流深化に期待を寄せた。
 星原透県議会議長の祝辞も代読された。読み上げた宮原義久副議長は「私自身、この3日間の滞在で農場や市場を視察した。また移民史料館にも訪れ先人の苦労を実感したところ」とあいさつし、「節目に立ち会えて嬉しい。片道30時間の道のりを忘れるほどの歓待を頂いた」と、県からも感謝を送った。
 ほか宮崎ブラジル親善協会からも祝辞が寄せられ、当地からも中前隆博在サンパウロ総領事、県人会連合会の四條玉田イウダ役員、羽藤ジョージサンパウロ州議が登壇し、半世紀の節目を祝福した。母県へ感謝状を贈呈し、相互に記念品も交換した。
 08年の留学生、甲藤幸(かっとう・さち)パトリシアさん(31、三世)、第1回研修生(80年)の黒木悟さん(54、二世)、10年12月から90日間、農業研修に訪日した土田オスカルさん(32、三世)が代表で謝辞を述べ祝賀会へ移った。
 黒木慧顧問が「堅苦しさ抜きに語らいのひと時を過ごしましょう」と呼びかけると、稲用副知事も「制度は50年、100年と続けて生きたい」と継続要請に力強く応え乾杯した。
 ボサノバの生演奏やカラオケを楽しみながら、元留学生同士の再会、また来伯団との交流で絆を確かめた。実行委員の一人で91年の研修生、尾関ローゼ・マリさん(55、三世)は「準備は大変だった。でも無事に終えて良かった」と胸をなでおろした。

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 留学制度の開始から半世紀を祝った宮崎県人会。運営を担ったのはそのOBたちだ。国府ジョナス実行委員長は北パラナに暮らすとあって、「名前だけです」と謙遜したが、尾関ローゼさんらサンパウロ市近郊在住者が式典を支えた。来訪団もボサノバの生演奏を聞きながら、出張ボテッコによるカイピリーニャを堪能。古参にはない若者らしい選択が、和やかな雰囲気作りに一役買ったかも。