ニッケイ俳壇(913)=富重久子 選

サンパウロ         近藤玖仁子

香水も古き香になり年たてば

【色々な香水を使う人がいるが、すれ違いざまに仄かによい香りが漂ってくるのは、確かに心地よいものである。
 私の鏡台にも三本ばかりの香水がもう何年も並んだままであるが、使ってもいないのにどれも半分以下になっている。多分いつの間にか蒸発してしまったのであろう。この句を読んでふと蓋を開けてみたが、やはり香りは残っていた。
 何となく懐かしい俳句であった】

ごきぶりの翅の艶までにくらしや

【ごきぶりの俳句、確かに憎らしいが田舎にいた時は「油虫」と呼んでよくつきあったが、都会ではあまり見られないのですっかり忘れている。「羽の艶まで」とは、よい観察の言葉である。五句を通じて巻頭俳句として推奨させていただく】

陽に匂ひ月にも匂ひ黄水仙
副虹や神様よりの贈り物
純白をひと花に見る雪柳

サンパウロ         山本英峯子

かりかりと揚げておつまみマンジュウバ
 ※「マンジュウバ」とはポルトガル語でカタクチイワシのこと。

【昔チエテ河にはマンジュウバがいて、よく釣れたという話を聞いている。最近は産卵に川を登るのか、魚屋さんで見られるので娘が時々買ってくる。
 我が家でもかりかりに揚げて、三杯酢に漬けるがとてもおいしい。また揚げたてをつまんで食べたりして、この句の様にいくらでも食べられる。家庭的ないい句であった】

惜春や合同句集の我がページ

【蜂鳥誌友会が、「蜂鳥創刊三十周年」を記念して句集を出したが、この度は個人の写真や趣味、それにエッセイも合わせて収録したので、多くの誌友、読者から喜ばれてよい記念になったと思っている。その時の一句であって、季語の「惜春」がよい選択で喜びの記念の佳句であった】

健やかな老人集ひ春の服
集ふれば皆俳人よ春惜しむ

サンパウロ         広田 ユキ

風光る祖国へ送る一句集

【これも句集の一句であるが、作者は句集を「祖国」へ送ったという内容である。
  作者はこの句集作成には骨身惜しまず、編集から校正、最後の仕上げまで全てのことに編集部委員として携わっていただいた。そして「祖国へ送る」というその言葉の中に誇らしい気持ちと、季語の「風光る」に万感の想いが込められた、格調高い佳句であった】

野遊びの異人上手に箸使ふ
一陣の風まき上ぐる野火埃
貰ひ来し仔猫に母の膝取られ

ボツポランガ        青木 駿浪

スイートピー淡き日射しに妻病めり

【スイートピーは、桃色・白色・紫色・まだらなどの、蝶形の花を咲かせる優しい花である。
 そのような花の中の、淡い陽射の中でやすらかにねむっている病の妻を、優しく見守っている作者である。毎日の看護の暮らしの中で、すきな薔薇の花を育て毎回の俳句の投句を休みなく続ける作者である。「スイートピー」というこの上ない優しい適切な季語の佳句であった】

雨意ありてタピライの町栗の花
点滴は命の雫紅の薔薇
哀感を秘めオルゴール春惜しむ

サンパウロ         高橋 節子

鉢つつじ気に入る場所か咲き続け

【うちのベランダにもずっと咲き続けている躑躅(つつじ)があって、「つつじ」は一体何時の季語であったかなと歳時記を繰ってみると、それは春の季語であった。ベランダは暖かいので冬の真っ只中から咲いていたのかしら、と思ったりしている。
 この句の様に正しく気に入った場所なので、こんなに咲き続けてくれるのであろう。優しい良い俳句であった】

蜂鳥や記念表紙に羽ばたけり
羅や着物も帯も整理出来
山笑ふ今した事をふと忘れ

サンパウロ         平間 浩二

再会に破顔一笑念腹忌

【毎年の念腹忌には遠くの人々も集まって忌を修すので、この句の様に「破顔一笑」抱き合って再開を喜ぶ、という明るい男性的な佳句であった。
 念腹先生の俳句大会にはよくかずまとでかけたが、もう半世紀くらい前のことになり懐かしく思い出している】

春泥や吹かすエンジン空回り
啼声に隊列組みて鳥雲に
雨晴れて紫濃ゆきジャカランダ

ぺレイラバレット      保田 渡南

青き踏む予後の素足や心地よく

【春の野山に萌え出た緑の草の中で遊ぶことは、野遊びと同じであるがこの大都では叶えられない。
 「予後の素足」とは、ご病気であったのでしょうか?素足なら尚更心地よいのは分かりますが御大事にして下さい】

大いなる帰巣の智恵や鳥帰る
鳥帰る待つ友ありや急ぎゆく
春風に高嘶きや驢馬の牡

ソロカバ          前田 昌弘

海の日やプールの水面波立たせ

【「海の日」といえば、日本では海の恩恵に感謝するという国民の祝日で七月二十日である。しかしブラジルの海の日は、アメリカ大陸が発見された一四九二年十月十二日を記念する日とされている。
 海の日の今日、まだ水に入るには早やすぎるプールのそばで、春風にさざなみを立てている水面を眺めている様子で、この作者らしい良い句であった】

欄干に人が手を置き春の露
子供の日子供の様な爺と婆
夕支度終へて散歩に暮遅し

サンパウロ         大原 サチ

鐘楼に育ちし雛も巣立ちけり

【お寺の鐘撞堂の中に、何時の間にか巣を造って雛を育てていた小鳥が、せっせと餌を運んで育て、無事に巣立ちをさせたのであろう。時々都会でも見る、ほほえましい巣立ち鳥の姿である】

岬まで続く白浜夏近し
青空へ溢れて咲けりジャカランダ
百姓の鋤きたる畠羽蟻来る

ピエダーデ         高浜千鶴子

昼寝より覚めればもとの九十かな

【昼寝して何か楽しい夢でも見ていたのであろうか。でも折角よい夢を見ていたのに、覚めてしまうとやっぱり元の九十のお婆さんになったという一句。楽しいユーモアのある同感のいい俳句です】

兎も角も生き抜く事と日向ぼこ
老いたれど胸ときめかす春の花
着膨れて体重減らす足踏みし

サンパウロ         渋江 安子

頂きし韮の気になるバスの中
街中の花散りゆきて春惜しむ
蝸牛頭の運動教はりし
春の服衿あき少し形替へ

サンパウロ         秋末 麗子

春塵を払ふ木彫りのいななけり
春の服大人も子供も大柄に
鱗なく手よりするりとマンジューバ
置き忘れ今なほ惜しき春日傘

【前に愛用の日傘を置き忘れたことがあって、未だに「今なほ惜しき」気持ちの拭えない私であって、この俳句を頂いた】

サンパウロ         上田ゆづり

暮鐘草うつむきてなほ艶やかに
陽に透けてあかきものの芽輝けり
今はもふ急ぐことなしかたつむり
定まらぬ天気に迷ふ春の服

サンパウロ         建本 芳枝

蝸牛田畑に響くわらべ唄

【蝸牛の唄(角出せやり出せ・・)とあの唄が聞こえてくるような、楽しい一句であった】

車窓よりこんもり白き暮鐘草
公園に舞ふ花びらに春惜しむ
春服の着こなし上手モデルかな

サンパウロ         須貝美代香

一斉に膨らみわめく木の芽かな
かたまって濃き紅のシクラメン
春眠の覚めれば戻る主婦の座に
飛行機の翼の向ふ山笑ふ

サンパウロ         山岡 秋雄

花大根紫にじむ雨雫
かげろふやマラニヨン砂丘揺れ動く
陽炎ひてビルのガラスの歪みかな
閃光の銀白燐の鱒の腹

アチバイア         菊池芙佐枝

パン買ひに新車を汚す春の泥
命日はいつもの話題わらび漬
ジャカランダ会へるかしらと遠回り
山笑ふ地球似の星に想ひ馳せ

サンパウロ         上村 光代

ジャカランダ花舞ふ道を歩き行く
春来れば若い苗にも花が咲く
ジャカランダの蔭は涼しく気持ちよし
まだまだと思っていたのに巣立ちした

サンパウロ         小林 咲子

春雨や山すがすがし古都の旅
柳ゆれ白雨たばしる宇治の山
緑濃きさわらびのみち風情あり
宇治の春雨に煙りて風情あり

ブラジルの俳句歳時記の季題の上では、十一月八日前後の立夏から、二月五日前後の立秋までの十一月、十二月、一月を「夏」とするとあります。夏の季語を少し選びまして書きますので、どうかご参考になさって清々しい夏の俳句をご投句ください。                

久 子

初夏、風薫る、雨蛙、蝸牛、火取虫、夏木立
新緑、百合、胡瓜、墓参、更衣(ころもがえ)