惻隠の情こそ=マウア市在住 吉田 尚則

『日本文化4巻』表紙。土佐出身の坂本龍馬と水野龍が目印

『日本文化4巻』表紙。土佐出身の坂本龍馬と水野龍が目印

 30年ほど前だったか、サンパウロ市と姉妹都市の大阪で両都市交流展が催されたことがある。パウリスタ新聞社(当時)も出展者の一員として、戦後日系社会の推移を伝えるべく、創刊号からの社会面十数枚をパネル化して展示会場の一隅に掲げた。
 当時、パ紙社員で展示担当のわたしが会場にいたところ、奈良県出身の元判事だと名乗る老紳士がパネルを鑑賞したあと近づいて来て、「日本人にとっての国際化とは何か」といった質問を寄せた。咄嗟のことで返答に窮したあげく、「相手を思いやる心を持つことか」と応じた。
 得心がいったとも思えぬような表情で元判事が去ったあと、わたしも考え込んでしまった。「相手(国民)を思いやる心の涵養に努め」と、これは国際化に臨む基本要件なのであって「国際化された人間」とはいえない。
 わたしの答えは的外れだったかなどと思ったり、それにしてもなぜ、あの元判事は一移民にすぎないわたしに国際化問題など持ち出したのか。移民は国際化とどんな関わりがあるのかー、来場者も少ないパネル展会場でぼんやりと思考をめぐらせたことがあった。
 先夜、酒席で深沢編集長から「推薦文を」と、放り出すように「日本文化4」(ニッケイ新聞社刊)を手渡された時、唐突に三十年前のこの一件が思い出された。内容が同紙に連載中の「国際派日本人養成講座」に拠る書物だったからだろう。
 実をいうと、ニッケイ紙出身ながら同書にはさほど関心がなく、この欄は読んだことがなかった。そもそも国際派養成とはえらく大上段に振り構えたハナシだな、などと老耄著しい最近、皮肉っぽく思っていたほどだ。母国の先駆者たちの偉業を子や孫らに語り伝えるといっても、ややもすると単なる自慢話に陥りかねず、かえって彼らの反発を買うおそれさえ生じよう。
 移民一世であるわたしの立場からすれば、二世以降の日系人に望みたいのは、まずブラジルの社会開発に参画できるような人間になってもらうことだ。それが政治の場であれ法曹界、言論界、教育界であってもよく、あるいは医療界、経済界に身を置くことででも、この国の発展に寄与できる人であって欲しい。
 残念ながら近年、国連機関の発表したブラジルの人間開発指数は中発展途上国でも最下位にちかく、百八十数か国中の75位であった。この指数は国民の平均寿命や識字率、国内総生産などを総合して割り出すいわば文明度だが、社会開発の遅れがまだまだ目立つと言わざるを得ない。それだけに日系人の各界における活躍がいっそう待たれるところである。
 ブラジルは周知のように多人種国家であり、確か六十余もの民族が移住してきて実にカラフルな社会を築いている。途上国とはいえ、それぞれの出身国から持ち込まれた多様な文化がルツボの中で独特の混合文化に醸成されてゆくことには、一種化学反応にも似た、新たな文明圏出現への期待感すら高まる。日系移民も同様、この新文明建設に貴重な担い手となり得ることを常に自覚しておきたい。
 このへんで白状すると、まだ「日本文化4」にはほとんど目を通しておらず、したがって内容にふれたり推薦文を書くなどの資格はないのだが、「国際人養成」については若干述べてみたいこともある。
 「養成される」主体が二、三世日系人であるとすれば、まず自国の歴史・文化をよく識ることが「国際人」になるための基礎的素養ではないか。そのうえで日系人として取るべき第二の態度が、自身のルーツをたどって父祖の国の優れた文化を吸収し、生まれ育った国で生かしてゆくことであろう。
 その日本で第一に掲げ得る文化といえば、わたしは武士道という精神文化であると考える。武士道は、倫理や道徳など価値基準の根本をなす日本独特の思想体系であり、七つの規範があって筆頭に「仁」が掲げられている。
 「仁」とは、一言でいえば他者を良く理解し慈しむことで、つまり「惻隠の情」を持つこそが武士道の根幹をなす精神だとされる。われわれが受け継いだ最も大切な精神遺産であるといえよう。
 「惻隠の情」は性善説で知られる孟子の言葉だが、これは孔子の説く「仁」に通じ、仁を唱えるには勇者の心が必要であり、「勇」は「義」つまり正義の道を志す者にこそ与えられると、これらいずれもが武士道の根幹をなす思想である。
 これまでの「日本文化」シリーズに新渡戸稲造が掲載されていたかどうか不明だが、彼が欧米諸国に英語で紹介した「武士道」が西欧の騎士道精神にも通ずるところがあって、深い感銘と共感を得たことは日本人にとって大いに誇り得る事績であった。武士たるものは「惻隠の情」を持たねばならぬことを同書でもほとんど筆頭に掲げている。「弱者には優しくあれ、慈しみをもって接すべし」とは普遍的な人類愛に通じる精神であり、国際人としての不可欠な人格といえよう。
 本書に登場する坂本竜馬も、薩長が軍事同盟を結ぶため西郷吉之助と桂小五郎の密会を仲立ちした際、窮地に陥った長州に対して冷淡な構えを取り続ける西郷に、会談決裂ぎりぎりのところで「桂さんが可哀そうではないか」と、惻隠の情を示せと迫った一件はよく知られる。
 大阪の出来事にもどって―、老判事が「国際人とは何か」と問うたのは、真の国際人はわれわれ移民が取り組むべき第一の課題であり、新大陸にあっても優れて普遍性をもつ母国のこの精神遺産を、義務として子孫に伝えるべきではないかと言いたかったのかもしれない。なろうことなら国際人の先兵として、日本の人々の手本にもなってほしいと。