道のない道=村上尚子=(61)

 実のところ「ふるさと」が好転しだした時、T子の鼻息が荒くなった。ここは客足も良くなっている。いける! と彼女は思ったのか。
「今に尚ちゃんを追い出して、ここで寿司屋を開けるわよ!」
 と常々周りの者に打ち明けていたという。新聞に私の記事が載ると、それを更に利用する者が出て来た。
 例えば、パラナ州から立派な体格で、温厚そうな男が、よくサンパウロの碁会所へやって来ていた。彼は大会社の社長だそうで、私も含めて周りの皆が、一応尊敬していた。
 ある日、このKさんが、
「私ね、ちょっとホテル代が足りないので、用立ててくれませんか」
 と頼んだ。この頃はまだ友行と暮らしていた。丁度、下宿代が入ったところで、
「こんな大物に貸して上げる金があって良かった……」と思いながら貸した。それにしても、えらい大金、ホテル代位の話じゃないなと思っていた。それから日が過ぎていっても、金を返さないので、パラナ州の会社へ電話してみた。Kさんがすぐ電話に出た。金の催促を、失礼のないようにしたところ、
「ああ、それは会計の弟に言って下さい」
 と、さらりとした声で言う。それで、今度は弟に電話を入れると、
「その件は、兄さんに言ってください」
 と言った。彼らが組んでいるのが直感できた。私は諦めた。ところがである。月日が過ぎて、このことは忘れていた。しかし、私のことが例の大ニュースになった途端! T氏は碁仲間に言ったのだ。
「実は、私も尚子さんへ金を貸したままとなり、返して貰えないのです……」
 と微笑んで言ったそうである。すると、それを聴いた相手が、
「あの友行なら私の友人、ぼくが立替えます」
 と、ポケットへ手を入れようとすると、
「まあ、まあ、そういうことはありますよ。いいですよ」
 と言ったそうである。自分の借金を、みごとに、貸した私へなすりつけたのだった…… どちらにせよ、今ここにいる私は、世間が唾を吐きかけたい犯罪人なのだ。なので、そんな女のいる店へ、客が来てくれるわけがない……
 私は、見事に店を追い出された。

     泥  棒

 為すすべもなく、気を紛らすために碁会所へ行ってみた。一日、気を晴らしたつもりで、夕方にアパートへ帰ってみると、家具、テレビその他一切、毛布に至るまで無くなっている…… 管理人に尋ねると、昼間ブラジル人二人が、カミニヨン(トラック)でやって来て、アパートにある物を全部運んでいったというのだ。「その男たちは、奥さんの知り合いと思った」と言う。この泥棒に協力した彼は、毛布二枚貰ったという。私はポルトガル語が出来ない。警察に訴えても、振り回されるだけだということも分かっている。
 管理人へ私は言った。
「その毛布だけでも返して。寒くて寝られない」
 何の感情もない、鳥のような丸い目の彼、その目が心なしかしみじみとした。二枚の毛布は、おとなしく持ってきた。他の品々は、泥棒と山分けしたのだろうか。管理人と喧嘩する気力もない。あまりにも大変なことが続くと、半分人ごとのような気もする。