道のない道=村上尚子=(66)

 話が途切れると、照れくさい! その時は自分にある癖を皆出した。耳を引っ張ったり、腕を振ってみたりした。すると、向こうの方から、少し胸を開いてきて、
「何か用かね?」と、優しく尋ねてくれた。それからやっと用件を切り出した……
 このやり方で結果が出はじめた。私自身が、お百姓さんたちへ懐(なつ)いているのに気がついていた。田舎の人たちは純朴で、そんなところがブラジル人と似ていたからだろうか。

 この会社に入って、二週間目から成績がうなぎ昇りに上がった。一日一件は、予約を取り付けるようになったのだ。まるで嘘のような話であるが、それも午前中のうちに、二件ということも時々あった。
 二件も取れると、同乗している仲間へ一件やった。そして運転手の青年も休ませた。青年は、最初難しい顔をしたが、結局彼は一日中車を使うより、休む方を選んだ。日によっては、青年の方から、パチンコに誘ったりした。
 仕事はうまく行っているのに、何の感情も湧かない……「円苔」を開けた時は、まるで恋愛でもするように仕事に夢中になれた。あの喜びがない……理由は分からないが、ブラジルが恋しくなっている。けれどもあの地では、私の根を切られている。自分は死んだのだ……

 ある日を境に、私は急によく眠るようになってきた。食欲もある。体も悪くない。なのに、眠り姫か何かのように、暇さえあれば眠る……友行に相談して、とりあえず内科の医者に診て貰ったところ、色々調べて、
「ハイ! あなたのは鬱病です」と云われ、白い錠剤をくれた。精神的な病いなら、薬など飲むことはない! と、飲まなかった。ところが段々、何かに囚われるようになってきたのだ。ブラジルが恋しい、かと言って、あんな騒動を起こしたところへ戻る場所はもうない……と、鬱々する日がだんだん昂じてきた。
 とうとうある日、ブラジルのK氏(有名な画家でたのもしのメンバー)へ電話した。すぐにK氏が電話に出た。
「私、『ふるさと』というところで働いていた尚子です」
「ああ、ハイ!」
 K氏は、私をすぐに思い出してくれた。私は、自分の思いを彼に打ち明け始めた。十分くらいすると、K氏が言った。
「電話賃が高くなるから、手紙にしなさい」と。私は自分でも驚くほどの量(丁度、便箋十枚)を一気に書いて送った。内容は、あの「頼母子」の件と、T子のことを詳しく述べたものであった。この手紙を、K氏は自分の実名を添えて、十枚全部、P新聞社へ提出したのだ! 
 今度は、P新聞は「わが社が、間違っていました」と、ひと言書く番であった。それはなしで、私の十枚の手紙を、扇子状に広げて写真を取り、それと一緒にT子のことを手酷く、三面いっぱいに出した。私としては、T子への仕返しなど、どうでもいいことで、無実の罪さえ晴らしてもらえば良かったのだ。まあ間接的に、その記事で私の罪は消えてはいた。卑怯な新聞社のあり方だった…… それにしても『煩わしいことは、避けて通りたい、この世の中で、驚いた! この私に手を差し伸べる人がいたとは!』
 と同時に『こんな人に出遭えた』というそのことだけで、私はもう、今まで生きて来たこの人生に悔いは残らない! これで、私の魂は生き返ることができた。