「過ちの認識あるのか」=米大統領の排外政策を懸念=日系人強制収容75年

マンザナー強制収容所内に設けられた慰霊碑(Photo taken by Daniel Mayer on 2002-03-24. Wikimedia Commons)

マンザナー強制収容所内に設けられた慰霊碑(Photo taken by Daniel Mayer on 2002-03-24. Wikimedia Commons)

 【ロサンゼルス共同】第2次大戦中の日系人の強制収容につながった米大統領令署名から19日で75年。当時、収容された日系2世のトオル・イソベさん(90)は、トランプ大統領による一部イスラム諸国からの入国禁止など排外的な政策を見て、同じことが繰り返されているという感覚を覚える。日系人に関する大統領令は署名から約46年後に政府が過ちと認めたが、トランプ氏はそういうことを「知らないのではないか」とも懸念する。

 イソベさんはロサンゼルスの全米日系人博物館で毎週ボランティアのガイドを務める。米国人でも日系人強制収容の実態を知らない人が多い。トランプ氏は大統領選の期間中、イスラム教徒の全面入国禁止を主張。日系人強制収容と「何ら変わりはない」と正当化したことがあった。
 イソベさんは静岡県出身の両親の間にサンフランシスコで生まれた。2歳から12歳まで日本の伯母に預けられ教育を受けた後、ロサンゼルスの両親の元に戻る。
 真珠湾攻撃が起きた当日、連邦捜査局(FBI)の捜査員が自宅に来て、父親を連行。残されたイソベさんらは1942年5月にバスに乗せられ、ロス郊外の暫定的な収容所を経てワイオミング州のハートマウンテン収容所に送られた。父も約1年後に合流した。
 住まいは粗末なバラック小屋。強烈な寒さが記憶に残る。冬は氷点下まで下がり、シャワー室で入浴後、自宅の小屋に戻る間にタオルが凍った。
 収容されたのは16歳の時。「自由がないのが一番つらかった」。収容は法律違反だと分かっていたが「戦時中のヒステリー」でまかり通った。
 人種差別も激しかった。ドイツ人やイタリア人は危険人物とみなされた一部しか収容の対象にならなかったが、日系人は女性、子どもも収容所に送られた。「今でも米社会に人種差別はある。ただこれまでは個人の中にとどめ、表面には出さなかったものが(トランプ氏就任後)表面に出てきているように感じる」と話した。