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自分史 戦争と移民=高良忠清=(5)

 ちょうど村の境目の十字路に差し掛かると、そこには五、六人の住民と三人の兵隊が倒れて呻いていた。だが、明日の自分の命も分からない怯えた避難民達は、それを助けようともせず、見て見 ぬ振りをして通り過ぎて行った。
 そこから百メートルぐらい離れた小高い山に登ると海が見渡せた。沖には列を組んで驚くほどの数の敵の軍艦が見えた。はっと気づくとさあ大変、もし望遠鏡で敵に見つかれば又やられるに違いないと、四つん這いでそこを渡り、次の部落の入り口にあった製糖工場の焼け跡に夕方着いた。
 そんな時刻にもう敵は現れないはずだが、何故か何処からとも知れず一機が飛んできて道を行く避難民を襲撃して立ち去った。
 その部落に入りまた何日かを過ごしたが、ここにもまた同じ様に海から、そして空から敵弾は雨のように飛んできたので、両親はこの村からも逃げることにした。
 母はある家の前で姉に荷物の番をしながら待つように言いつけてから、怪我をした父を背負って歩き始めた。私は母の荷物を抱えて後を追った。
 ほんの五、六十メートル程行った時、迫撃砲の弾が落ち始めた。近くの家に駆け込むと同時に庭先に落ちた弾の破裂で頭から土を被った。
 母はそんな止めども無く落ちてくる弾をくぐって娘を連れに引返した。私は座ると同時に足の踵に弾の破片が当たった。父の手ぬぐいを急いでもらって足にしっかり結んだ。
 しばらくすると母は娘には会えず、艦砲にやられたに違いないと落胆の余り涙を流しながら戻ってきた。
 怪我をした私を見てますます気落ちしたらしく、後は気が狂ったように道行く人を一人一人つかまえて、自分の娘を見た人はいないか聞いて回った。
 母の心配が三日三晩続いた後、偶然姉を向こうで見かけたという人が現れた。母は喜びに舞い上がって姉のもとに駆けつけた。
 彼女は家族連れの人たちに助けられたが、もし親達が現れなければ、戦争が終わったら家族の嫁にと思っていたらしい。母は後で三合ビンの石油を持ってその家族にお礼に行ったそうだ。

目前の死

 そんなふうにして逃げ回りながら、私たちは沖縄の南部にある島尻(シマヂリ)の先端まで来ていました。ここは岩が多くて水の少ない処で、村人達はたった一つあった井戸の水を使いながら生活していました。
 敵はここに水があることを知っていて、再三攻撃してきていました。母はそこに水取りに行くたびに、今日もまた何人死んでいたと話していました。
 なかでも一番可哀想だったのが、死んだ母親の乳房にすがってなく赤ちゃんを見た時だった。母は、「助けたいけど自分がいつ死ぬかも分からず、食料も無く、怪我をした夫や息子を抱えて、その上に乳飲み子の世話は出来かねるので、胸が裂けるほど可哀想だがそのまま置いてきた」と涙を抑えきれずに語った。
 この村も激しい爆撃にさらされて、次の村を目指すしかありませんでした。栄養失調でもう杖を使ってさえも歩けなくなっていた父を背負いながら先に進んでは、又引返して、今度は荷物を運び、三回往復目には、私を背負って隣村まで家族を移動した母の苦労を思い出すたびに、私は涙するのです。

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