《ブラジル》県連故郷巡り=「承前啓後」 ポルト・ヴェーリョとパウマス=(10)=砂金掘り闊歩する無法地帯

現在でも違法浚渫が横行して問題になっているマデイラ川のガリンポ筏(フォーリャ紙2016年11月28日付電子版)

現在でも違法浚渫が横行して問題になっているマデイラ川のガリンポ筏(フォーリャ紙2016年11月28日付電子版)

 地元の田辺俊介さん(69、鹿児島県)の指に、フリーメイソンの紋章が入った太い金の指輪があるのに気付いて、由来を尋ねた。

 「ボクもメイソンに入っているんですよ。しかもこの指輪は、僕がガリンポ(砂金掘り)をしていた時代にとったもので彫金した。80年から84年頃までガリンポをして計20キロはとった」と何げなく言う。実に多彩な経歴を持つ人だと改めて感心した。

 1980年に町へ出て商売を始め、ブロイラーの卸売り、清涼飲料の販売、酒類の販売などを手掛けていた。折しも、マデイラ川のPV一帯は砂金採りブームに沸いている時期だった。

 「すごかったよ、あの頃は。サントアントニオの上流からボリビア国境あたりまでの一帯だけで6千隻ぐらいドラーガ(砂金浚渫船、筏)が浮かんでいた。そのガリンペイロにツケで物を売っていたんだが、払わないヤツがいたんで、船を取り上げた。船を遊ばせておくのもモッタイナイと思って自分で始めたんだ」。

 ドラーガには300馬力のエンジンを積んで給水ポンプを動かし、12インチのホースを川底に垂らして、川底の泥を砂金ごと吸い上げるやり方だ。そのホースの先頭を操作するのは潜水夫だ。

 船の上から細いホースで空気を送り込み、潜水夫が長い時間作業できるようにする。いったん、金脈が見つかると、その場所の奪い合いになって、水中で空気ホースの斬りあいになることもあり、命がけの仕事だと聞いたことがある。

 「だいたい、滝つぼに金脈が集まる。ホースから浚渫された泥を、船の上のローナ(絨毯みたいな布)に流す。そうすると、砂金だけローナに残るようになっている。金脈にかかるとローナが真っ黄色になるんだ。いっぱいになると水を止めて、次のローナに替える」

 金が出てきたと噂が立つとそれからが大変だ。「奴ら、船を思いっきりぶつけてくるんだ。僕の船を押しのけて、その金脈の場所を盗ろうと思って。だから、船には機関銃を装備していた。そんな船が近づいて来たら、威嚇射撃をするんだ」

 そんな砂金には泥や川砂が混じっている。水銀に入れて混ぜると金だけ集まる。それをバーナーであぶって水銀を飛ばすとできがりだ。「だいたい握りこぶし一つ分で1キロ。それを買い求める仲買人が、このへんにウヨウヨいたんだ」。もちろん水銀は猛毒だ。それがあちこちで行われていたため、「一時期この辺の魚が食べられなくなった」とも。流域では水銀中毒患者まででていた。

 80年代中頃が最盛期。まさに西部劇のような無法地帯の情景だ。「そんなある日、家に帰ったら、母親から『あんた人間の顔をしとらん。その仕事を辞めなさい!』と言われハッとした」。2年6カ月ぐらいガリンポをして「元は取った」状態になっていた。田辺さんの船が滝を越えようとして落ちて全損する事故が起き、それをきっかけに辞めた。

 「サントアントニオ・ダムを作るとき、川を堰き止めて流れを迂回させた。そのとき、黄色い砂浜みたいのが、あっちこっちに見えたって話だよ。アンデス山脈から流れ出てきた砂金が何千、何万年もかかって溜まっていたはずなんだ。みんなが『いまだ!』って取りに行こうとしたら、軍隊が出てきて止めさせた。だから、もっぱら地元では『あの砂金で工事費は全部賄えたはず』と噂されているよ」。

 奥アマゾンおそるべし――。ここの移民史は中西伯とはまったく異なる。(つづく、深沢正雪記者)