本当は誰がアメリカ大陸を発見したのか?

クリストファー・コロンブス(Ridolfo del Ghirlandaio [Public domain], via Wikimedia Commons)

クリストファー・コロンブス(Ridolfo del Ghirlandaio [Public domain], via Wikimedia Commons)

 BBCポルトガル語版7月29日付で《コロンブス到着の500年前に設営された、アメリカ大陸最初の欧州系入植地》という記事を興味深く読んだ。ヴァイキングのレイフ・エリクソンが今から約1千年前に現在のカナダ・ニューファンドランド島に90人の男女を連れて上陸し、10年間ほどだが入植地を維持したと2冊の伝承書に記録が残っているという。野生の葡萄が実っていたことから「ブドウ(Vín、ポ語ならvinho)の地」と名付けた。
 それを読みながら、10年ほど前にネット検索していてあるポ語サイトに「1493年、ポルトガル人が種子島で日本人を発見」と書いてあるのをみて、ドキリとしたのを思い出した。その時から「コロンブスがアメリカ大陸発見」という言葉をみるたびに、少し胸の奥がズキズキとうずくようになった。共に白人側の視点から見ているからだ。
 以前こんな経験もあった。1992年に日本から来るヴァリグ機で、白人美人客室乗務員にたまたま気に入られた。彼女はよく面倒をみてくれた挙句、機内誌のインディオ訪問記事を開いて持って来て、コラム子に見せながら『あなたたちに似ている人がブラジルにも沢山いるわ。サンパウロについたら、ここに電話をちょうだいね』と番号を渡された。もちろん好意的に言っているのだと分かったが、少々とまどった。ある種の白人からすれば、黄色人種は同じように見えるらしい。
 おもえば2000年4月22日に「ブラジル発見500周年」を北東伯の諸州政府が祝おうとして、インディオらの猛烈な抗議行動を受け、腰砕け状態で終わった。インディオらは「先住民族の強制鎮圧500周年の歴史だ」と怒り、仏紙「ル・モンド」も《ブラジルはインディオ抑圧500年を祝う》の見出し、スペイン紙「エル・パイス」も《ブラジルの苦い500周年》などと揶揄した。
 インディオらが「強制鎮圧の歴史だ」というのもムリはない。実際、コロンブスは教科書的な偉人ではない。ウィキペディア「コロンブス」項によれば、彼が1492年10月11日に「アメリカ大陸発見」したときに、すでにインディオは約800万人も住んでいたとある。1493年9月、2度目のコロンブス航海は入植目的だった。その時点では、彼も移民だった。17隻の船団を組み、1500人を連れて渡り「イザベル植民地」を作った。
 でも、彼が連れて行った装甲兵や騎兵隊は、非武装だったインディオの村々を徹底的に略奪破壊し、殺戮の限りを尽くした。奴隷商人もしており、インディオを欧州に連れて行った。後にスペイン人が南米でも繰り返す殺戮の行動パターンをこの時に確立したと言われる。虐殺に加え、彼らが持ち込んだ梅毒などの病気がインディオに急速に広まり、1496年にはなんと300万人を切るまでに激減したといわれる。この植民地は数年で消え去ったという。
 この歴史に比べれば、冒頭のヴァイキングは実に平和な入植だった。さらに我々モンゴロイドとしては、RFIサイト4月26日付に出た《アメリカ大陸到達は定説のはるか以前だったと科学者が発見》記事の方がはるかに心やすらかに読める。米国カリフォルニア州サンディエゴの遺跡発掘の調査結果から、人類の祖先の新大陸到達は従来の1万5千年前ではなく、13万年前だと分かったとの内容だ。
 従来は、まだ地続きだったベーリング海峡を歩いて渡って来たというのが定説だった。だが最近は南太平洋をカヌーで渡り、オーストラリアを通って南米大陸に入ったとの説も提唱されている。というのもアマゾン地方の先住民のDNAを調べたところ、アジア系、オーストラリア系(アボリジニ)と共通の部分が発見されたからだ。
 コロンブスは、後のスペイン人征服者コルテスやピサロに並ぶような歴史的な大量殺戮を行った。黒人奴隷貿易、インディオ虐殺という二大蛮行は、新大陸国家の社会に今もその痕跡を生々しく残す歪みだ。
 もしも江戸幕府が黒船、アメリカと戦争することを選択していたら、日本はどうなっていたか…。そんな「もし」を思い浮かべるたびにうすら寒くなる。(深)